一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

ロアビルの思い出

昨日記事で書いたロアビルについて語る。

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http://bb-building.net/tokyo/deta/668.html(TOKYOビル景さん)

 

つい先日、ロアビルの解体が発表された。

4/25付の東洋経済ONLINEより引用させていただく。

 

1973年に竣工した地上13階建ての歴史あるビルで、「ROI」の文字を大きく壁面にあしらった外観が特徴の1つだ。バブル時代にはディスコも入り、一世を風靡した。近年は1階に「六本木横丁」の名称で、居酒屋、焼肉、焼き鳥、すし、串揚げなどの約20店舗もの飲食店が入り、人気をとっている。(東洋経済ONLINE)

 

 

「バブル時代にはディスコも入り」との記載があるが、現在もロアビルにはV2とSIXという2つのクラブが入っている。

それぞれの場所にはかつて、バニティとフラワーというクラブが入っていた。

僕が毎週末クラブに通っていた頃、この2つのクラブには幾度となく通った。

入口の前には毎週末大きなリムジンが止まっていた。

 

 

バニティは、人気のあるクラブでありながら、箱のサイズがそこまで大きくない。

12時過ぎると、人が集まりすぎて頻繁に入場規制がかかっていた。

また、男女の数を常に均等に保つため、男の行列が長蛇の列になっていた。

僕も2月の真冬に2時間並んだことがある。

ここで前に並んでいた医学部の男性と仲良くなった。

医学部生とは思えない、ホストのような格好をしていた。

入場するまで時間があるから参考書を読んでいるんだよ、と彼は言った。

 

六本木には、いろいろな人が集まる。

まだ駆け出しだったこともあり、彼はいろいろな女遊びのテクニック、

とりわけ六本木のクラブの遊び方を教えてくれた。

バイトで風俗のスカウトもやっているようで、整形女の見分け方も話してくれた。

 

彼は今頃どうしているのだろうか。

 

ある時、バニティは深夜営業を摘発されて潰れた。

そのあと、V2と名前を変えて営業している。

 

 

フラワーにもよく通った。

バニティが誰もが振り返るようなモデル級の美人が集まっていたのに対し、

フラワーはそこからあぶれたギャルが多くいたようなイメージだ。

でも僕はフラワーに来ているギャルが好きだった。

バニティに来ている子より、謙虚で優しくて親近感の湧く子が多かった気がする。

 

このフラワーでは、六本木クラブ襲撃事件が起こった。

この日、僕は六本木の別の場所で遊んでいたので、事件を知ったときには震えたものであった。

しばらく六本木から遠ざかったが、遊びたい気持ちが勝り、すぐにまた通うようになった。

 

 

 

あれからまだ10年も経っていないのだが、ずいぶん昔のことのように思える。

ロアビルの解体で、また一つ僕の青春が消えていった。

 

ロアビルはバブル世代の人と六本木を共有できる数少ない建造物であった。

ロアビルの話になると、会社のおじさん・おばさん達が20年前にブイブイいわせていた姿が浮かんだ。

なんだかとても嬉しかった。

 

 

そんな建物がまた一つ消えていく。

しょうがないことなのだけれど、とても寂しい気持ちになるのは、僕が年を取った証拠なのだろうか。