今日もD・カーネギー『道は開ける』より「悩みの習慣を早期に断つ方法」をご紹介していく。
6つ目のタイトルは「おがくずを挽こうとするな」というもので、簡単に言うと、過ぎたことにクヨクヨするなということである。
この手のことは、言うは易しで、多くの人が幼少の頃から耳にタコができるほど言われてきたことだろう。
だが、最近自分が思い悩んだ出来事を思い出してみてほしい。もう過ぎ去ってしまったことが悩みの種になってはいないだろうか?
われわれは数分前の出来事にさかのぼることも、それに変更を加えることもできないくせに、実際にはよくそういう愚かな行為をしているのである。
確かに、数分前の出来事に伴う結果の修正ならできるかもしれない。けれども、実際に起きてしまった出来事そのものに変更を加えることは不可能なのである。
過去を建設的なものにする方法は、天下広しといえども、ただ一つしかない。過去の失敗を冷静に分析して何かの足しにする──あとは忘れ去ることだ。
僕自身、かつては大の心配性だった。
高校の定期試験の答案用紙を出したあとで、自分の解答が心配になり、何度も思い悩んだり、教科書や参考書を調べたりした。
会社に入ってからも、上司や先輩に言ったことを思い出しては、自分の言い方がまずかったのでは、彼らが怒っているのでは、と気に病んでいた。
しかし、当時の僕は失敗を分析にして糧にすることも、簡単に忘れ去ることもできなかった。今思えば、なんと無駄な時間を過ごしたのだろう。
本書では、新聞記者のフレッド・フラー・シェッド氏の発言が引用されている。
彼は、あるカレッジの卒業生に向かって講演をしながら、こう言った。
「皆さんの中でのこぎりで木を挽いたことのある人は何人いるだろうか? そういう人は手を挙げてください」
大部分の学生が手を挙げた。そこで再び彼は質問した。
「それではのこぎりでおがくずを挽いたことのある人は何人いるだろうか?」
手は一つも挙がらなかった。
「もちろん、おがくずを挽くことなどできるわけがありません!」
シェッド氏は説いた。
「おがくずは挽いたカスなのです。過去についても、これと同じことが言えましょう。すでに終わったことについてくよくよと悩むのは、ちょうどおがくずを挽こうとしているだけなのです」
シェイクスピアもこう言っている。
「賢い人たちは座ったまま損失を嘆いたりはしない。元気よくその損害を償う方策を探すのだ」
いずれにしても、過去を元通りにするなどできないのだから、われわれは、それらを払拭し、未来へ向かって前進していくしかない。
それでは、悩みの習慣を断つための6つ目の鉄則を記憶にとどめておこう。
◉おがくずを挽こうとするな。
おしまい