一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

神に祈ることで悩みを克服できるのか

今回もD・カーネギー『道は開ける』を勝手に復習するシリーズをお送りする。

今日はPART5「悩みを完全に克服する方法」に突入。

そして、この節は「私の両親はいかにして悩みを克服したか」というタイトルの1章のみ。だが、本全体の約1割の分量がこの1章に割かれている。

 

本章の趣旨は簡単で、宗教的信仰心と祈りの重要性を説いている。祈ることによって、穏やかな心が得られ、悩みが払拭されるということを、様々な人物のエピソードを通じて紹介されている。

精神科病院でわめき散らしながら魂を責めさいなまれている人々の多くも、自分の力だけで人生の荒波を乗り越えようとしないで、もっと大きな力に助けを求めさえしていたら、救われていたであろう。」とまでカーネギーは言っている。

 

個人的には、これは言い過ぎではないか?と思う。

しかし、『7つの習慣』でもスティーブン・R・コヴィーは、毎日聖書を読み、祈り、瞑想することで、精神を再新再生していると語っていた。

一方、コヴィー氏は、個人が教会に行くことと精神性の高さとは別問題で、宗教的な活動や行事に忙しくて周りの人たちの火急のニーズに気づかず、信じている宗教の教えとは矛盾する生活を送っている人もいれば、宗教的な活動はしていなくとも、高い倫理観にかなった生き方をしている人もいるという話もしていた。

このあたりの度量の広さが『7つの習慣』が幅広い読者に読まれる理由の一つなのかもしれない。

 

いずれにしても無神論者・不可知論者(神がいるかどうかは証明できないと考えている人)大国の日本人にはなかなか宗教に救いを求めるという価値観はないだろう。

Wikipediaの「無神論者」の項には、こんなことが書いてある。

現代では憲法によって信仰の自由が保障されているが、宗教的に保守的な国や地域(イスラム教国や、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国等の一部地域)では、無神論者であることを口にすることがタブーとされることが多い。神を信じず、信仰の対象を持たない人間は、気違い、悪魔を信仰する者(サタン)、道徳のない者、無教養扱いにされることがある。

このように、日本とはだいぶ文化が違うのである。

海外の自己啓発書と宗教は切っても切れないという前提で読み進めていかないといけない。

 

ちなみに、本章で取り上げられている具体例の一つであるが、産まれたばかりの子供が死にかけている時ですら、信仰心の強い人間はこう思うらしい。

もし私たちの赤ん坊を奪うのが神のご意志であれば、ご意志どおりにしてくださいと祈ることを決心しました。私は座席にひざまずいて、涙ながらに『神の御心のままになさってください』と祈ったのでした。 こう祈り終わると、私は少し気分が晴れてきました。長い間、感じなかった和らいだ気持ちが湧き起こってきたのです。

 

僕は率直に、全知全能の神がいるなら、自分の中でこうした理不尽な出来事が起きた時に折り合いがつかない。祈りによって神がすべての悩みを解決してくれるなら、自分が人間関係で悩むはずもないし、自分が貧乏なはずもないし、自分や家族の病気が治らないはずもないからだ。神様ならなんとかしてくれるはずである。

しかし、現実は自分の力でなんとか困難を乗り越えていくしかない。結局、人生に対する基本的スタンスは自責以外にはあり得ないのだ。コロナウイルスにかかって呼吸が苦しいなら、自宅で神に祈っているより、病院に行かないと死んでしまう。

 

しかし、人間は祈る。祈らずにいられないことはある。無神論者の僕も、いつも無意識に祈ってるよね(笑)。「大切な人が死にませんように」という真面目なものから、「もうこんな上司耐えられない、助けて」とか「どうかこの前の仕事での失敗が隠し通せますように」とか、宛先不明の祈りを日々捧げている。

 

本章の最後にカーネギーはこう言っている。

ちゃんと僕のような無神論者に対しても祈りの効果を説いていた。

もしあなたが生まれつきにせよ教育の結果にせよ宗教的な人間でなく、こちこちの懐疑論者であるとしても、祈りはあなたの期待以上にあなたを助けてくれるだろう──祈りは実用的なものだから。実用的とはどういう意味か?つまり、祈りは神を信じる信じないは別として、あらゆる人々が共有する非常に根源的な三つの心理的欲求を満たしてくれるのである。

 

カーネギーの主張する、得られる3つの効果を要約するとこうなる。

①相手が神であっても悩みを正確に表現しなければならない(=悩みの具体化ができる)。

②近親者や友人にすら話せない時に、神に悩みを打ち明けることができる(=アウトプット効果、紙に書き出したらいい)。

③祈るという積極的行為を行うことで前向きな姿勢になれる(=思考のポジティブ化)。

ここまで書いておいてなんだが、大半の日本人読者にとっては、ぶっちゃけ飛ばしてもかまわない章かなと思った(笑)。

 
道は開ける 新装版

道は開ける 新装版

 

 

 

 おしまい