一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

GWに親と話して感じたこと

GWですね。

今日は久々に実家に帰り、母親と話していた。

いつものことではあるが、僕の発した言葉で引っかかるものがあると、突然小言が始まる。

うちの親の場合、そんなにイヤミな言い方でないのが救いなのではあるが、いつも同じことを言われるのはうんざりというものだ。

 

どこの家でもそうかもしれないが、

・結婚すべき
・家を持つべき
・会社に忠誠を尽くすべき

こういった昭和の価値観全開の「〜すべき」の押し付けが激しく、要約すると、早く結婚して子供を産んで、マイホームを購入して、定年まで一つの会社で勤め上げて、退職金と年金で老後は悠々自適という人生を子供に歩んでほしいということらしい。

こんな人生が本当に最適かつ実現可能だと思っているのだから、救いがない。

ここ数年は、僕が投資や不動産の勉強をしていることが気に食わないらしい。「投資は危険」と思っているからだ。

 

大前提として、僕は母親と仲が良いし、よく二人で食事にも行く。

だが、僕が母親が大好きという話と、母親から知見を得るかという話は全く別である。

親は、何かの知見を得る相手としては、まったく信用に足るものではない。

親は自分の常識・知識・経験を基にアドバイスしてくるので、そのアドバイスは常に30年前の価値観になるからだ。

今から30年前の1991年といえば、丸の内から新宿へ東京都庁が移転した年で、ジュリアナ東京が開業した年で、東海道新幹線ののぞみ号が走り始めた年で、スーパーファミコンが販売された年、そしてバブル経済が終焉した年だ。

 

<旧東京都庁第一本庁舎>

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(引用:都市徘徊ブログ様)

 

ジュリアナ東京

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(引用:FJ時事新聞)

 

スーパーファミコン

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(引用:wikipedia

 

結局のところ、親の言うとおりに決断しても、親が責任を取ってくれるわけではなく(赤の他人と違って少しは金銭的援助はしてくれかもしれないが)、最後は自分で責任を取らないといけない。いつもの自責の話である。

そして、最後は責任を自分で取るのなら、自分の生きたい人生を生きたほうがいいに決まっている。

したがって、親のアドバイスで自分の価値観に反するものは完全にスルーで問題ない。

親ブロックのせいで離婚できないとか転職できないという話をよく聞くが、どうせ自分より先に死ぬ親の言いなりになるなんて、バカみたいな話である。

 

親からの影響を最小限に抑えるには、物理的・心理的に距離を置くことが必須かと。

実家からある程度の距離の場所で一人暮らしをして、電話やLINEなどの接触回数も抑えていく。

そういう意味では恋人を選ぶ時にも親からの洗脳を受けていなそうな独立した相手を選ぶべきなのかもしれない。

 

おしまい