一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

肉親との時間について

今日は会社の有給を使い、御年95歳の祖母に5年ぶりくらいに会いに行ってきた。

もう10年以上前から、母親の実家近くの老人ホームに入っていて、会いに行くまでにそれなりの時間がかかるため、なんだかんだ「忙しい」と理由をつけて会うことを避けていた。

それが、先日「おばあちゃんがいい加減●●(私の名前)に会いたいって言ってるよ」と母親経由でご指名があり、ついに会いに行くことになった。

 

東京駅で老人が好きそうな和菓子を買ってからJRの快速電車に乗る。

その街は人口数十万人のいわゆる「ベッドタウン」で、駅前は若いファミリー連れで溢れていた。

祖母が住むホームはそこから15分ほど歩いた大きな公園の脇にある。

厳重なセキュリティの入口を通り、入念に手を消毒してから祖母の部屋に入る。

 

「●●です」と部屋の入口で僕は言う。

よく来た、まあ座ってください、と祖母は言い、僕は木製の背の低い椅子に腰かける。

元気か? 仕事はどうだ? 結婚の予定は?  

など、マシンガンのように近況を聞いてくる。

もう半分ボケているので、同じ質問が何度も繰り返されるんだけど、すごいのは、僕のことを100%全て肯定してくれるところだ。

外見・学歴・勤務先・話し方に至るまで、どれも客観的にはイマイチパッとしないのだろうが、それらのどれもが祖母にとっては「誇らしい」ものなのだと言う。仮に、僕が人を殺したとしても彼女には肯定されてしまうのではないか、と思うほどであった。

 

 

 

1時間ほど話し、心が洗われて帰路についた。

愚痴と不満と悪口と自慢話で溢れた職場、約束を守らずに嘘ばかりつく女たち、独身の僕にはそれをぶつける場もなく、ひたすら日記帳に書き記しては自分と向き合っていた日々。

そうして感情を押し殺して生きることが、楽に生きるための一番の方法だと思い、長年の間自分に溜めこんでいた思いが一気に流れて出たような気分になった。不覚にも、涙が出そうになってしまった。自分も一応人間なんだな、という新しい発見があり驚いている(笑)

 

きっと、もう数年後にはこの祖母には会えなくなってしまうのだろう。

そして、さらに数十年もしないうちに両親にも。

自分を全肯定してくれる人間など、そんなに世の中にいないもので、肉親というものはそういう貴重な存在なのだと改めて気付かされた。

彼らと残された時間を大事にしていこうと思った。

 

一方、「常に全肯定されること」が自分にとって良いことだとは決して思わない。それは甘え・妥協・慢心などに繋がるし、強い男でいるためには、他人から肯定されようと否定されようと自分を貫くしかない。だから、僕は常に独りでいることを選ぶ。

また、明日から「日常」という戦場へ飛び出さないといけないのだ。気を抜いている暇はない。

 

おしまい