一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

帰宅は22時、就寝は1時——誰にも見えない3時間を、自分に投資し続ける

最近は家に帰るのが早くて22時前後。

世間的には「今日もお疲れ様」と言われ、寝る準備をする時間だ。

だが、自分にとっての本当の勝負は、そこからが始まりである。

 

社会の歯車として働き終えた後の数時間。

この時間を、ただ「休息」や「娯楽」で埋め尽くすか、それとも“未来の自分を形づくるために使うか”。

その選択が、半年後、一年後、確実に大きな差となって現れる。


だから私は、帰宅後の3時間、徹底的にストイックに過ごすことにしている。

本当なら終電までのストリートナンパにも勤しみたいところだが、ここのところあまりに仕事が忙しく、ナンパはお休み中だ。

 

「疲れているからやらない」は、やらない人間の言い訳だ

帰宅が22時なら、確かに疲れている。

身体は重く、脳も回らない。立ち止まれば、そのまま布団に倒れ込んでしまいそうになる。

だが、そこで終えてしまえば、それは“他人のためにだけ使われた一日”になる。

誰かの仕事をこなし、誰かの要求に応え、誰かの評価を得るために時間を捧げて、最後に「もう無理だ」と寝る。

 

だからこそ決めている。

自分の手で1日を締めくくるために、夜の3時間を使い切ると。

 

科学的にも正しい「15分ポモドーロ」という選択

だいぶ前にブログで一度取り上げたテーマだが、一般的なポモドーロ・テクニックは、25分作業+5分休憩のサイクルで構成されている。

1980年代にイタリア人のフランチェスコ・シリロによって提唱され、今や世界中で使われている時間管理法だ。

 

だが私は、このサイクルを“15分+5分”に変更して運用している。

理由はシンプルだ。その方が効果的だからである。

 

近年の認知心理学脳科学では、人間の集中力はおおよそ10〜20分がピークとされている。

実際、大学講義やプレゼンテーションの設計でも「15〜20分で話題を切る」「短時間の集中を繰り返す」といった手法が主流になっている。

また、脳内で集中を支える神経伝達物質ドーパミンノルアドレナリン)は、15分前後で枯渇が始まるとも言われている(Daniel Goleman『Focus』などに記述あり)。

つまり、15分という単位は、最も濃い集中が可能な“科学的にも正しい長さ”なのだ。


25分では長すぎる。

特に仕事後、疲弊した脳にとっては、25分の集中は、かなり“気合いを要する行為”になる。

だが15分であれば、気合いも意志力も要らない。

「15分だけならやれる」——その感覚こそが、習慣化の鍵となる。

 

実践:帰宅後の3時間、9ポモドーロを例えばこう使う

22:00〜23:00|新聞精読(3ポモドーロ)

帰宅してすぐに始めるのが、情報のインプット。

ただしスマホニュースの流し読みでは意味がない。

紙面や電子版の経済・国際・社説欄を読み込み、要点や新たな学びを手書きでメモする。

単なる情報収集ではなく、「読んで、理解し、考える」という能動的インプットに切り替える。

15分ごとに集中が区切られることで、冗長な読み方が消え、密度の高い読み方ができる。

 

23:00〜24:00|読書(3ポモドーロ)

続いて読書。

選ぶ本は、ビジネス書、自己啓発書、あるいはノンフィクション。

エンタメ性ではなく、「読んだ直後に、自分の価値観が揺れるかどうか」で選ぶ。

ポモドーロを使うことで、「惰性で読む」ことがなくなる。

15分という短さが、逆に読書への没入を強制し、読書の質が格段に高まる。

 

24:00〜1:00|勉強・アウトプット(3ポモドーロ)

最後の1時間は、アウトプットに充てる。

英語学習、資格対策、ブログ下書き、フレームワーク分析、あるいは1日の思考整理。

この時間は、知識を“自分の言葉”に変換する工程である。

 

夜の集中力は限界に近い。

だが逆に、余計な雑念が削ぎ落とされ、本質的な作業に集中できる時間でもある。

その感覚を味わえるのは、1日の最後に“自分だけの時間”を作った者だけである。

 

クールダウンなどいらない。走りきって終わればいい

この3時間には、休憩らしい休憩は存在しない(厳密に言うと、各ポモドーロの5分間が休憩)。

食後のぼんやりタイムも、風呂上がりのダラダラスマホも、いっさい排除した。

集中と緩急はあるが、クールダウンではなく、すべてが“次の集中”への助走である。

 

このリズムを日々繰り返す。

もちろん楽ではない。

だが、1時に布団へ入るとき、「今日も走りきった」という確かな実感がある。

 

そしてそれは、何よりの自己肯定感になる。

誰にも評価されず、見られることもなく、拍手もされない。

だがこの3時間が、社会人ではない“個人としての自分”を育てているのだと、確信している。

 

おわりに:「1日を、他人に終わらせるな」

会社での時間も、仕事も、社会の一部としての責任だ。

それを否定する気はない。

だが、自分の人生を“誰かの予定だけで埋める”ことには、どうしても抵抗がある。

 

だから私は、帰宅後の3時間だけは、自分のために生きる。

疲れていても、眠くても、1日を「15分×9本のポモドーロ」で構成する。

それが、自分の手で1日を終えるということだ。

 

未来の自分を支えるのは、こうした日々の積み重ねでしかない。

そして明日もまた、22時からの3時間を、誰にも見られず、誰にも頼らず、ひっそりと走り続けるつもりだ。

 

おしまい