転職して1年半が経った。
ようやく今の職場の空気にも慣れ、日々の仕事に余裕が出てきたこの頃、ふと気づくことがある。「あれ、この時間、本当に意味あるか?」という問いを、自分の中で自然と繰り返しているのだ。
社会人になって15年以上が経つ。かつての自分は、「忙しい=偉い」とでも思っていた節がある。オフィスに長く残っていること、資料を抱えて会議を転々とすること、上司の長話にうなずき続けること…。すべてが仕事であり、社会人の務めだと信じて疑わなかった。
だが今では違う。転職後に環境が変わり、少し距離を置いて「働く」ことを見つめ直す中で、「一日は意外と無駄な時間に溢れている」という、ごく当たり前の事実をようやく実感できるようになった。そして、それに気づけば、「18時台に帰る」ことも不可能ではないことも、身体感覚として理解できるようになった。
この「時間の無駄」をどう峻別し、どう扱うべきか。最近、改めて参考になったのが、故・山崎元氏の著書『一生、同じ会社で働きますか?』の一節である。山崎氏は、サラリーマン生活に溢れる「時間の無駄」に対して、明確な判断基準を提示してくれている。
以下に、その内容を要約して紹介したい。
時間の無駄を見極め、有意義に過ごすための視点(山崎元『一生、同じ会社で働きますか?』より)
現代のサラリーマン生活には「時間の無駄」があふれている。顧客や同僚を待つ時間、社内外の付き合い、そして何より会議。自分の勤務時間を振り返ってみても、本当に意味があると感じる時間は半分もないという人は多いのではないか。
では、時間を少しでも有効に使うには、どうすればよいのか。まず必要なのは、「有効な時間」と「無駄な時間」を見分ける基準を持つことである。筆者は、以下の4つの基準を提案している。
1. 直接お金を稼いでいる時間
2. 意思決定のために必要な調査時間
3. スキルや知識が自分に蓄積されている時間
4. 純粋に楽しく、娯楽に近い時間
このいずれにも該当しない時間は、基本的に「無駄な時間」と考えてよい。たとえば、パイロットのフライト時間や評論家の講演時間は、文字通りお金を生んでいる(基準1)。銀行員が取引先の審査のために情報を集めるのも、意思決定に不可欠な行動である(基準2)。新しい分野を学び、ビジネス知識を蓄えることは自己価値を高める投資である(基準3)。また、心から楽しいと感じる仕事は、たとえ報酬が低くても「意味のある時間」と見なせる(基準4)。
一方で、同僚との雑談や何となく楽しいと感じるだけの時間まで「有意義」としてしまうと、時間に対する感覚が鈍りがちになる点には注意が必要だ。
無駄だと感じる時間への対処法はシンプルである。
第一に、「その場からいなくなる」という発想だ。特に長時間・大人数の会議では、結論だけ後で確認すれば済むことも多い。自分が不在であっても他者が困らない場面では、時間を別の活動に充てた方が良い。筆者は、そうした時間にビジネス街の書店を訪れ、情報収集の場として活用していたという。
第二に、空き時間には「自主的に勉強する」こと。会議中や待ち時間に専門書や論文を読む習慣は、知識の積み上げにつながる。コピーした資料を常に持ち歩き、読み込んだり、メモを書いたりすることで、時間の損失を最小限に抑えることができる。
~要約以上~
日々の過ごし方を常時「ジャッジ」する
山崎氏のこの「時間の取捨選択」の発想は、今の自分にとって極めて実践的であり、共感を覚えるものだった。
そして自分も、この基準をもとに日々の時間を「ジャッジ」するようになった。会議は基本的に「必要最小限の発言と、必要最小限の時間参加」。自分が話すべき場面以外は、会議中であってもこっそり資料を読み込むか、次の業務の構想を練る時間にあてている。
もちろん、現職の環境もこの働き方を後押ししてくれている。時間外労働が黙認されている職場ではあるが、その分、夜中に誰にも邪魔されずに集中できるのは非常に快適だ。電話も鳴らず、無駄な雑談も発生しない。むしろ、日中の“ノイズ”を避けて、深夜に集中するスタイルの方が性に合っていると感じるようになった。
会社は「思考体力」を鍛える場
この1年半で思うのは、「昇進」に執着しすぎると、逆に“会社に時間を吸い取られる”という事実である。次の転職を考えると昇進しマネジメントをやることが必須とも思っているが、むしろ、自分より明らかに頭のキレる同僚たちに囲まれ、日々の業務の中で「思考体力」を鍛える場として会社を捉えるほうが、健全なのではないかという気がしている。
もちろん、キャリアアップや役職を全否定するつもりはない。だが、「出世する=残業する」「上にいく=全会議出席」という構図に巻き込まれて、無自覚に自分の時間を削っていくことには、今は慎重でありたい。
人生の時間は有限である。だが、仕事の中に潜む「無意味な時間」は、意識すれば確実に減らせる。言い換えれば、日々の「時間の損益分岐点」を見極めながら働くことが、これからのサラリーマンに求められているのかもしれない。
「働き方改革」などという大仰な言葉を持ち出さずとも、自分の中の「無駄フィルター」を日々磨いていくこと。それが、仕事をもっと“意味あるもの”に変えていく第一歩であると、今の自分は考えている。
おしまい
