一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

作業を早く終わらせる者だけが、人生を取り戻せる

f:id:alonewolf_memorandum:20250404063426p:image

気づけば、人生の大半は「何かをこなす」ことに使われている。

仕事、家事、雑務、手続、返信、片づけ……誰に頼まれたわけでもないが、気づけば“タスク”に追われて1日が終わっていく。

こうした時間を減らしたいと思う人は多いだろうが、単に「忙しいから」と言って愚痴をこぼしても何も変わらない。

時間を奪われているのは、他人ではなく、自分自身の「作業スピードの遅さ」だと認めるところからしか始まらないと最近改めて感じている。

 

「考える時間」が仕事のアウトプットの質を決める

「考えること」の重要性は少し前にブログで書いたとおりだ。

とりわけ、問題解決や戦略的判断が求められる仕事において、思考時間の確保は致命的に重要である。

ところが現実はどうだろう。多くの人が、思考よりも、メールの返信、会議の準備、資料整理といった“ルーティン”に多くの時間を費やしてしまっている。

ルーティン作業とは、言ってみれば思考停止でも可能な反復作業である。そこに意識を注ぎすぎると、肝心の「考える」余白が残らない。

本来、頭を使うべきは「この課題の本質は何か」「どこに突破口があるのか」という問いに対してである。

そのためには、ルーティンを最短時間で処理し、“脳のリソース”を確保しなければならない。

 

「早さ」は雑さではない

誤解されやすいのだが、「作業を早く終える」というのは、手を抜くことではない。むしろ逆である。

集中力を極限まで高め、無駄な動きを削ぎ落とし、迷いなく行動するという“意識的な選択”が求められる。

特にルーティン作業は、工夫次第で劇的に効率化できる。

テンプレート化、ショートカットキーの活用、時間帯の最適化、ポモドーロ・テクニックなど。こうした工夫を積み上げていけば、1日30分〜1時間の自由時間を生み出すことは容易である。

そして、その浮いた時間が、読書や運動や、人との対話や、未来を考える思索の時間に変わる。

これを繰り返すことこそが、人生の質を引き上げる最短ルートだと思っている。

 

プライベートの“可処分時間”は自らの手で確保

仕事だけではない。作業スピードを上げることは、プライベートの充実にも直結する。

1日1時間、無駄な作業時間を削減できれば、1週間で7時間。これは映画3本分、ビジネス書なら5〜6冊分、山に一つ登れるくらいの時間になる。

「そんな時間、自分にはない」と言う者は、自分の1日を正確に振り返っていない。

スマホを触っている時間、ぼんやりテレビを見ている時間、メールの文面を延々と考えている時間……。これらを可視化すれば、30分〜1時間の“無自覚な浪費”などすぐに見つかる。

人生は有限である。

であるならば、自分が本当に時間を使いたいことに、どれだけ投資できるかが勝負だ。

 

「いま、何に頭を使うべきか?」を毎日問い直せ

作業を早くこなすためには、テクニック以前に“意識の焦点”が重要である。

朝でも前日の夜でもいい。静かな時間にこう問いかけてみることだ。

「明日、自分が最も集中すべき仕事は何か?」

「そのために、その他の作業を最短で終えるにはどうすればいいか?」

この問いを習慣化できれば、1日の行動に“軸”が生まれる。私は手帳に書き出し、向き合うようにしている。

ルーティンに振り回される日々から、意識的に脱出できるようになる。

 

スピードと集中は、思考力を磨くための下準備である

結局のところ、「作業が早い人」は、ただ処理能力が高いのではない。

“本質的なことに時間とエネルギーを注ぐ”という意思と能力を持っている人間なのである。

多くの人が“考えるべきこと”ではなく“目の前のこと”に反応的に時間を使ってしまう。

だが、ルーティンの処理を意識的に早めて、思考のための時間を確保する者は、必ずその先で「差」をつける。

人生において最も大切な時間は、作業ではなく、「考える時間」である。

何を選ぶか、何を切るか、何に集中するか。

それを決めるための“余白”を生み出すために、今日もまた、作業を早く終わらせよう。

 

おしまい