一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

20年前の受験生事情

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20年前の自分に、ひとつだけ話ができるとしたら、こう言うだろう。

 

「その戦い方は正しかった。だが、今の時代には別の“戦略”もあるんだよ」と。

 

何回かブログで書いた通り、私は予備校には通わず、完全に独学で大学受験を乗り切った。市販の参考書だけを頼りに、計画を立て、自分の頭で考え、自力で合格を勝ち取ったのである。

振り返れば、あれはまさに“自分との戦い”だった。深夜まで机にかじりつき、「この努力が報われる保証などない」と思いながらも、決してペンを止めることはしなかった。

 

だがその一方で、どうにも拭えない“限界”もあった。特に、記述式問題。あれほど不安定で、孤独で、答えの輪郭が見えにくいものはなかった。

 

予備校の空気を横目に、黙々と独学を貫いた

私が受験生だったのは、およそ20年前。世はまさに予備校黄金期であった。駿台河合塾代ゼミ・東進といった名だたる受験予備校が勢いを振るい、テレビCMにはカリスマ講師たちが並び立っていた。

受験雑誌では「○○先生の授業で○○大に合格!」といった広告が躍り、予備校に通っていない者は「不利」であるかのような空気さえ漂っていた。だが、私はあえてその波に乗らなかった。むしろ、どこかで反発していたのかもしれない(笑)

 

「予備校まで通う時間がもったいない」

「予備校講師が自分の授業を文字に落とした渾身の作品が市販の参考書では?」

 

そう信じて、独学を選んだ。誇張でも美化でもなく、私は本気でそう思っていた。

 

記述式問題の不安、誰にもぶつけられなかった現実

とはいえ、独学の最大の壁が「記述式問題」であったことは否定できない。特に、英作文や現代文の記述、世界史の論述問題は厄介だった。選択肢がある問題なら自己採点も比較的簡単にできる。だが、記述問題には“解答の正しさ”を判断してくれる相手がいない。

英作文を書いても、それが自然かどうか、減点対象になるのかどうか、誰にも聞けなかった。模試の添削は返却までに時間がかかり、日々の勉強の中ではフィードバックを得ることは不可能だった。現代文の記述では、「設問の意図が読み取れているか」すら、自分では判断しようがない。

結果として、私は“曖昧なまま”書き続けることになる。「これでいいのか?」というモヤモヤが残ったまま、次の問題に進む。この連続が、精神的に重かった。どれだけ努力しても、確信が持てない。だからこそ、私は記述式問題の少ない私立文系を選んだ。得意な科目で勝負し、最も確実な戦い方を選んだのである。

だがもし、ChatGPTのような存在が当時にあったとしたら――私は、国立大学を本気で目指していたかもしれない。

 

ChatGPTは「思考の壁を突き崩す」対話型の教師である

今の私は、ChatGPTを日常的に使っている。そして思う。「これは、20年前に自分に最も必要だった“先生”ではないか」と。

 

たとえば、英作文をChatGPTに投げるとする。

「次の日本語を英訳しました。添削してもらえますか?」

 

すると、数秒で返ってくる。

「この ‘by using’ は意味は通じますが、ネイティブなら ‘through’ を使う方が自然かもしれません」

 

さらにこう問えば、

「もっとフォーマルな表現にできますか?」

 

即座に2〜3の案を提示し、それぞれの文体的ニュアンスまで解説してくれる。

 

これがどれほど受験生にとって貴重なことか。英作文とは、まさに“問いかけることで磨かれていく”技術なのである。ひとりでこねくり回すのではなく、誰かにぶつけ、修正し、また書き直す。そのプロセスこそが、最短の成長曲線なのだ。

 

「あの頃の私」がChatGPTを使っていたら

ChatGPTが20年前にあったなら、私はこう使っていたに違いない。

 

・英作文の即時添削
 → 書いて→投げて→直して→また書く。これを毎晩繰り返していたはずだ。
・現代文記述の論点整理
 → 「この設問、どういう視点で答えればいい?」と聞けば、構成の軸や論点が明快になっただろう。
・世界史記述のブラッシュアップ
 → 「この記述、曖昧な部分はある?」と投げれば、根拠の弱さや語尾の不確かさを指摘してくれる。
・精神的な壁打ち相手
 → 深夜、焦りや孤独に押し潰されそうなときに、「これで大丈夫かな」「この計画で間に合うかな」と聞ける存在がいたら、どれだけ救われただろうか。

 

この“知的な壁打ち”が、20年前の独学には決定的に欠けていた。

 

問いを持てる人間が、学力を伸ばす時代へ

今の時代において、学力とは「正しい答えを持っている人」ではなく、「良い問いを立てられる人」が伸ばしていくものである。

ChatGPTは、ただの解答装置ではない。「なぜそう考えたのか?」「この観点は抜けていないか?」と問い返してくる。これは、講義を聞くだけの学びでは到達できない、対話的な知性の鍛錬である。

つまり、ChatGPTは“解説する先生”ではなく、“考えを深める相手”なのだ。これは、独学者にとって最も欲しかった存在そのものだと言える。

 

おわりに──独学で戦い抜いた自分を、誇っている

20年前、私は誰にも頼らず、自分の力だけで道を切り開いた。その誇りは今も変わらない。だが、もしChatGPTという存在が当時にあったなら、私は“もう一段高い山”に挑んでいたかもしれないのもまた事実である。

記述式の恐怖、孤独、判断の不確かさ――それらすべてに、対話で寄り添ってくれる存在がいれば、進路の選択は違っていたかもしれない。

ChatGPTは、答えを押しつける先生ではない。考えを深め、問いを育ててくれる“もう一人の自分”である。

 

だから今、この時代の受験生へ、私は迷わずこう言いたい。

「ChatGPTを使い倒せ。それは、独学者にとって最強の武器だ」

 

おしまい