
仕事終わりの金曜日、駅前の居酒屋。焼き鳥の煙が立ち込める奥の座敷で、また始まった。「あの部長、ほんと空気読めないよな」「〇〇課のやつ、またミスったらしいぞ」──仕事を離れても仕事の話。しかも悪口しかない。笑い声と皮肉が交差する中、ひたすらビールを流し込む時間。サラリーマンにとって、赤提灯で飲む酒は安価な麻薬だとよく私は言っている。
誰かの愚痴に笑ってうなずくか、沈黙して「ノリ悪いな」と思われるか。そんな選択を強いられる場に、人生の貴重な時間と体力と金を差し出してまで参加する必要があるのか。そう考え始めると、答えは自然と見えてくる。
飲み会に行く意味は、あるか?──プロコン整理
会社の飲み会については「人間関係が円滑になる」といった説がある。しかし本当にそうだろうか。メリットとデメリットを、冷静に比較してみよう。
・行くメリット
上司・同僚と距離が縮まる
裏話が聞ける場合もある
“付き合いのいい人”と見られる
・行くデメリット
愚痴・悪口に巻き込まれる可能性
不毛な話題で時間を浪費する
翌日のパフォーマンスが落ちる
金・体力・精神力の消耗
・行かないメリット
自己研鑽や体力回復に使える
出費を抑えられる
・行かないデメリット
「付き合いが悪い」と思われる
人間関係が希薄になる可能性
社内政治的な不利を被る可能性
上記を総合的に見て、飲み会は「初期の信頼構築フェーズ」においては一定の意味があると考える。しかし、それが終わった後は、むしろ時間と金と精神を浪費する場に変貌する。
1年半経てば、飲み会は浪費になる
私自身、転職して1年半が経った。周囲との人間関係もでき、自然な会話はできる。もう無理に酒の席に顔を出して“存在証明”をする必要はない。今や飲み会は「惰性の習慣」か「義理の消化試合」に過ぎないと判断した。
しかもその場で交わされる会話は、ほとんどが生産性のない内容である。会社の愚痴、仕事のミス、あいつは使えない、こいつは調子に乗ってる──。そんな話に加担すること自体が、自分の価値を下げる気がした。
「行かないキャラ」の定着化
毎回断っていると、「あいつは飲み会来ない奴」とレッテルを貼られるかもしれない。だが、もはやそれでいい。むしろ、それがポジショニングになる。
・夜は自己研鑽に使っている(実際はナンパがメインだけど)
・職場では丁寧な対応をしている
・仕事では成果をきっちり出している
この3点を守っていれば、「付き合い悪い奴」ではなく、「自分を持った奴」として認識されるようになるだろう。実際、成果さえ出していれば誰も強くは言えない。成果なき社交性より、成果ある自律性の方が、はるかに重い。職場での実績は仕事でしかフォローできないというのが最近至った持論だ。
飲み会に行かないのは、戦略である
誤解してはならない。「飲み会に行かない」は逃避ではない。戦略的な撤退である。悪口と疲労の場から身を引き、自分の未来に投資する。それは単なる拒絶ではなく、前向きな選択である。
夜の数時間が変わるだけで、1週間の質が変わる。1週間が変われば、人生の軌道が変わる。
だから私は、行かない。誰にどう思われようと、自分の時間と気力を、他人の愚痴のために使う気はない。
飲み会に行かないことは、孤立を選ぶことではない。迎合せず、沈黙せず、ただ自分の価値観に従って生きるということだ。
“同調圧力”に飲まれず、“悪口大会”に時間を奪われない生き方。その先には、より自由で、より強い自分が待っている。
おしまい