一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

「静寂と孤独が似合う街だった」——都心のカフェで過ごした、あの頃の週末

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東京都心が静かだった時代がある。とりわけ、竹橋や神保町、九段下のようなオフィス街は、土日になるとまるで時が止まったかのようだった。

人通りはなく、開いているカフェもまばら。電車の音や風のざわめき、コーヒーの香りだけが、週末の都心に流れていた。

 

時は20代前半。新入社員だった自分は、恋愛どころか、人と会う余裕すらなかった。毎日終電。土曜の朝だけが唯一、自分を取り戻せる時間だった。

だからこそ、誰もいない都心の喫茶店に紙のビジネス書を持ち込み、ページをめくるという行為は、自己回復の儀式のようだった。

 

静かすぎる街と、静かすぎる自分。あの頃の孤独と疲労と、少しだけ前向きな意地。それらが不思議と重なって、あの場所を「心の避難所」にしていた。

 

書を読み、沈黙に身を委ねる週末

たとえば神保町といえば古書店街だが、自分にとっては“孤独を肯定する空気が流れている場所”だった。

適度に無愛想な接客、少し埃っぽい店内、客同士が干渉しない距離感——それら全てが居心地よかった。

 

カフェで本を読む時間が、唯一「誰とも比べなくていい時間」だった。

同僚は彼女と温泉旅行に行くと言っていたし、大学時代の友人はベンチャー企業に転職して活躍していた。

一方の自分は、月曜から金曜まで上司の顔色をうかがい、土曜はそうやってビジネス書を読み、日曜は寝ているだけ。

だが、それでもいいと思っていた。自分がどこかに進んでいる感覚が、たとえ錯覚でも、静かな街でしか得られなかったのだから。

 

今の都心は、どこに行っても人がいる

しかし、2020年代も半ばに差しかかった今、あの“静けさ”は都心から完全に姿を消した。

週末に竹橋を歩けば、観光客のグループがスマホ片手に道を尋ねてくるし、神保町のカフェはスーツケースを転がしたインバウンド客で満席だ。

 

静けさの消失には、いくつもの理由がある。

第一に、インバウンド観光客の激増だ。

日本政府観光局(JNTO)のデータによれば、2014年の訪日外国人は約1340万人だったが、2019年には3188万人、そしてコロナ禍を経た2024年には3687万人と過去最高を更新した。

 

浅草や新宿といった定番エリアだけでなく、神保町のような“ニッチだけど日本らしい”街にも、観光客が流れ込む時代になった。

古書街、喫茶店、カレーライス、文房具店。SNSで“映える”と評価されれば、週末の静寂は即座に喧騒に変わる。

 

第二に、都心の人口そのものが増えている。

かつては「住む場所」ではなかった千代田区中央区にも、再開発によってタワーマンションが林立し、生活者が増えている。

平日も休日も、都心に人がいるのが当たり前の時代になった。

 

それでも、あの記憶が胸を打つ

今や、神保町で本を読むなら、早朝に行くしかない。開店と同時にカフェに入らなければ、席が確保できないことも珍しくない。

土曜の午前中に静寂を求めて都心を歩いても、どこか落ち着かない空気がついてくる。

 

しかし、それは「悪いこと」ではないことも分かっている。

むしろ、この国がこれからも生き延びていくためには、インバウンド客に支えられた経済が必要だ。

人口が減る日本で、観光業が果たす役割は決して小さくない。

だから、今の賑わいも時代の要請として、受け入れようと思っている。

 

それでも、ふとカフェの奥の席に座ったとき、思い出すのは、かつての静寂だ。

誰もいない竹橋の交差点。暖かい日差しと、冷たい風の音。コーヒーの匂いと紙のページをめくる音だけが響くカフェ。

仕事が忙しすぎて誰とも会わなかったあの頃の自分。

何もなかったけれど、何かになろうと足掻いていた自分。

 

終わりに:静寂がくれたもの

都会の静けさには、孤独を肯定してくれる不思議な力がある。

誰にも認められず、誰にも必要とされていないと感じる日々のなかで、「それでもお前はお前でいい」と背中を押してくれるのは、にぎやかな繁華街ではなく、人気のない街角だった。

 

あの頃の土曜の午前中は、そういう静けさに支えられていた。

今はもう、その場所には戻れない。

でも、あの時間が確かにあったことは、自分の中の温かい思い出であり、慰めであり続けるのだと思う。

 

おしまい