一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

耳のすきまに、人生が隠れている

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NHKのニュースで「耳には、1日3.7時間の“すきま”がある」──そんな見出しに、思わず画面を二度見した。

www3.nhk.or.jp

 

具体的には、私も愛用しているオーディオブック配信サービスを手がけるオトバンクの調査結果で、1日平均3.7時間、耳が空いていて“聴く余地がある”という

NHKはこれを、単にデータとしてではなく、“新しい学びの可能性”として報じていた。数字の大きさもさることながら、それが「耳の余白」であることに、スキマ時間にオーディオブックを流し聴きすることを推奨してきた自分は妙に嬉しさを覚えたのである。

 

3.7時間。言い換えれば、毎日たっぷりと映画1本ぶん以上の“学習枠”が空いているのだ。しかもその時間は、特別に机に向かう必要も、資料を開く必要もない。ただ耳さえ開けておけばいい。これは、現代人に与えられた“見えないボーナス時間”ではないかと思う。

 

ながら聴きこそ、現代の耳学問

かつて「耳学問」という言葉があった。辞書的には、「他人の話を聞くだけで知識を得ること」とされている。揶揄としても使われてきたが、現代においてはむしろ「耳学問」こそが、自己投資の中核になりつつある。

 

朝の通勤途中、本を広げる余裕はない人も多いだろう。だが、イヤホンを差し込んでおけばいい。料理中に手を止めて読書はできないが、ナレーションを流すのは造作もない。

ページをめくる労力も、姿勢の維持もいらない。しかも、音声という媒体は、感情の抑揚やリズムで理解を深めてくれる。活字では見落としてしまう“行間”を、声は伝えてくれるのだ。

 

片耳イヤホンが、知的武装になる

この記事を見てから、自分は改めて常に片耳にワイヤレスイヤホンを差しっぱなしにしている。右耳は世間に開けておき、左耳は知識の通路としている。今では歯磨き中も、スーパーのレジ待ちでも、耳から情報を吸い上げている。

 

世の中の情報摂取は、視覚に頼りすぎている。だが、耳からの学びは「ながら」が効く。これは現代人にとって圧倒的に効率のよい武器だ。洗濯物を干しながらでも経済書が1章読める(聴ける)。散歩しながらでも哲学に触れられる。文字で読むよりも、音声で入れたほうが記憶に残ることもある。

 

なにより、聴覚は「体を拘束しない」。目はスマホで塞がれていても、耳は自由なのだ。片耳イヤホンこそ、現代における“知的武装”の象徴だと思うようになった。

 

ビジネス書は意外と“耳向き”である

では、どんな音声コンテンツを聴くのが良いか。結論から言えば、「ビジネス書」は耳にちょうどいい。論理の流れが明快で、章立てが整理されている。ナレーションによってテンポよく流れてくる知識は、まるで知的なラジオ番組のようだ。

 

たとえば『DIE WITH ZERO』は、再生時間7時間ほど。倍速再生を使えばさらに早く聴き終えることも可能だ。NHKが報じた「1日3.7時間の耳のすきま」があれば、1日1冊ペースも夢ではない。もちろん、全部を完璧に覚える必要はない。頭のどこかに残ってさえいれば、それはいつか人生の助け舟になる。

実際、私はこの『DIE WITH ZERO』のオーディオ版を、何週間経っても聴き終えていないでいる。これは猛省すべきだろう。

 

特に、朝の通勤30分、昼の休憩20分、帰宅時の電車で30分、夜の家事で1時間。これらを積み上げれば、3時間は軽く確保できる。「時間がない」と嘆く前に、“耳はどうか”と問うことだ。

 

自分を“音で満たす”という戦略

現代は、何もしなければ「騒音」に満たされる時代である。CMの音、SNSの通知音、電車の発車メロディ……すべてが無作為に耳を占領する。だが、そこに「自分で選んだ音」を流すことで、人生の密度が一気に上がるのだ。

 

もちろん、音声インプットが万能だとは言わない。読書のような“熟考の余白”は減るし、集中力を要する内容は向かないこともある。だが、日常のすきまに知識を“流し込む”という発想は、もはや時代の必然である。

 

情報は待っていても入ってこない。自分で耳を開くしかない。だからこそ、今の時代を生き抜くには「耳に何を流すか」を自問することが、ひとつの戦略になる。

 

おわりに──耳から始まる、新しい生活

耳は、思っている以上に働いてくれる。目よりも疲れにくく、手よりも自由で、脳との距離も近い。「耳のすきま時間」は、単なる余白ではなく、自己変革の入り口なのである。

 

NHKのニュースが、そんなことを気づかせてくれた。数字にすれば1日3.7時間。だが、自分にとっては「人生を変える余白」である。音を選び、時間を選び、思考を選ぶ。その第一歩は、片耳のイヤホンから始まる。

 

──明日もまた、耳から新しい知識を流し込もう。

それはもう、義務でも修行でもなく、ただただ楽しい時間である。

 

おしまい