一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

不毛な飲み会に巻き込まれて思い出した、ある上司の度量

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昨日もまた、不毛な時間だった

仕事終わりに飲み会が入る。「会社の飲み会に行かないという最強の戦略」などというタイトルで記事を書いたばかりだが、いろいろ事情がありどうしても断れなかった。ウツである。

 

昨日の飲み会も、例に漏れず不毛だった。

乾杯の後の数分間は、愛想笑いとお決まりの業務トーク。その後、場の空気が温まってきた頃から、次第に愚痴と悪口合戦が始まる。

 

「あの上司は現場を分かっていない」「事務方が適当すぎて困る」「部下の〇〇は気が利かない」――そんな話題で盛り上がる。皆、誰かの足を引っ張ることでしか自己を保てないようだった。

 

私は、なるべく無言で過ごした。相槌を打つことすら避けたかったが、そうもいかない。場を壊さない最低限の受け答えだけして、酒を口に運びながら、自分の内面だけを静かに保つよう心がけた。

ほとんど酔わずに帰宅し、鮮明な意識でこうしてブログのドラフトを書けているのでまだよかったと言えよう。

これが、職場の飲み会に参加する時の最低ラインと決めている。不毛な飲み会で前後不覚になるまで飲むことだけはないように。

 

こうして心を消耗する飲み会に巻き込まれるたびに、「自分はなぜここにいるのか」と問い直したくなる。楽しくもなく、有意義でもなく、ただ悪口の同調圧力に耐えるだけの時間。帰り道、なんとも言えない疲労感と虚しさが胸に残る。

 

突然、悪口に同調しない上司のことを思い出す

そんな帰り道、ふと思い出した人物がいる。

かつて私が20代だった頃、前職でお世話になった数少ない上司だ。

 

私は珍しくその上司によく懐いていた。

仕事帰りに飲みに連れて行ってもらうことも多かった。当時の私は若く、愚痴や不満も多かった。仕事に不満があればすぐに口にしたし、同僚や他部署のやり方に腹が立てば、酒の場でぶちまけていた。

 

だがその上司は、一度たりとも私の悪口に乗らなかった。


「そうだよな、あいつはひどいよな」とは決して言わなかった。

かといって「そんなこと言うな」と説教するわけでもない。

ただ静かに聞いてくれて、最後にこう言ってくれた。

 

「一匹狼が頑張ってるのは、ちゃんと見てるよ。」


私はその言葉に何度も救われた。

批判にも同調せず、否定もせず、でも見放さずに、私を見てくれていた。

あれが、「真の度量」というものだったのだと思う。

 

「悪口に乗らない」というリーダーの資質

思うに、人は、他人の悪口に乗らないだけで、ある種の“孤高”を感じさせる存在になる。悪口や愚痴というのは、ある意味で簡単な共感装置である。それに加担すれば、その場の一体感はすぐに得られる。だが、長期的に見れば、自らの品位と信頼を削る行為だ。

 

悪口を言わずにその場にいる、というのは意外に難しい。いや、かなり難しい。完全に無言でいれば、「ノリが悪い」と言われるし、かといって下手に相槌を打てば、「あいつも同意していた」と曲解されるリスクがある。

 

私のかつての上司は、まさにこの絶妙なバランスを保っていた。

誰の悪口にも染まらず、しかし誰の感情も否定せず、

一緒にいて心地よく、かつ安心できる存在だった。

 

そういう人には、自然と人が集まる。

そして誰よりも信頼を積み重ねていく。

上司という立場でなくても、そういう人間は組織の中で力を持つようになる。

それは、肩書きではなく人格に根ざした影響力だ。

 

出世する人間の共通点

職場で出世する人間を観察していると、共通点がある。

一つは、「感情に流されないこと」であり、

もう一つは、「人を批判せず、行動で示すこと」である。

 

愚痴や悪口は、感情を外に出すことで一時的にスッキリするかもしれない。だが、それが習慣になれば、やがて周囲に“ネガティブな人”というレッテルを貼られる。最初は聞いてくれていた人たちも、徐々に距離を置くようになる。

 

一方、悪口を言わずに、でもきちんと意見を伝え、周囲の努力を見逃さず、建設的な方向へ導ける人は、やがてリーダーとして認められていく。愚痴を口にせずとも、改善すべき点にはしっかり向き合い、対話と行動で示す。その差は歴然だ。

 

あの上司は、私が愚痴をこぼすときでも、「でもお前はちゃんとやってる」と言ってくれた。人の至らなさではなく、自分の中にある努力や成長に目を向けさせてくれた。

 

今思えば、あのひと言こそが、私の20代の礎になっていたのだと思う。

 

問題は、これから自分がどう生きるか

昨日の不毛な飲み会に巻き込まれて、つくづく思った。

愚痴や悪口で場を繋ぐような人間にはなりたくない。

もし、あの場に後輩がいたら、私はどう振る舞っただろう。

かつての上司のように、冷静に、静かに見守ることができただろうか。

 

まだまだ、自信はない。だが、理想はある。

誰かが愚痴をこぼしたとき、それを否定せず、

でも一緒になって悪口を言わず、

「ちゃんと見てるよ」と言える人間でありたい。

 

あの上司のように、

そんな人間に、私はなりたいと思ったのである。

 

おしまい