
「あぁ、私が小学校に入る頃には、もうバブルは崩壊していたんだよな」
私は、昔を思い出すたび、いつもこう思う。「バブル景気を経験できなかった悔しさのようなもの」をずっと私は持っている。
バブル景気は、1980年代後半から1990年代前半にかけて、日本経済が異常な高騰を経験した時期を指し、一般的には1986年12月から1991年2月頃までとされている。
30代前半以下の人は、全くかすってもいないだろうが、まさに私がこの世に産まれ落ちた直後の時代で、私の中でも、ほぼ記録の中でだけ目にする華やかな時代である。
バブルの絶頂を知らずに育った我々の世代にとって、バブルは常に「語られるもの」であった。
「昔は良かった」「今とは空気が違った」と、親世代は言う。だが、そう語るその裏には、“今に対する諦念”が混ざっているようにも感じる。
しかし、私たちは本当に「損をしている」のだろうか?
最近、そんなことをよく思う。今日は、冷静に現代の豊かさを見つめ直してみたいと思う。
バブルの残り香のあった90年代
1990年代、私は小学生だった。当時、商店街のスナックには、派手な看板やシャンデリアのような装飾があったと記憶している。街にはまだ“バブル建築”の空気が残っていて、意味もなくゴージャスな佇まいのビルが至るところに存在していた。
親がたまに話すエピソードの中には、「会社の接待で女の子のいる店に行った」とか、「昔はハワイに社員旅行で行けた」などという話もあった。
就職活動に関しても、四季報を持って企業訪問に行く学生が「空気読めてない」と言われていた──という噂(これは完全に噂だが)を聞いたことがある。論理や志望動機より、「雰囲気」や「ウチに合うかどうか」が重視されたらしい(これは今でもそういう傾向がある企業はあるだろうが)。
また、2000年頃までは「寿退社」という言葉もまだ現実味をもって存在していたように思う。今や完全に死語である。
だが、当時は、実際に私の母親が、ママ友同士の会話で「〇〇さんは結婚を機に仕事を辞めるって」と話していたのを複数回耳にしたことがある。私自身、その時は、特に違和感も覚えずに聞いていた。
今のほうが、確実に「自由」で「便利」
私は過去を否定したいわけではない。むしろ、そうした“勢いのあった時代”を体験できた世代を羨ましく思うこともある。ただ、だからといって今の社会が劣っているとも思わない。むしろ、全く思わない。
たとえば、働き方。
昔のように、長時間労働やサービス残業が美徳のように語られていた時代よりも、今の「ワークライフバランス」や「リモートワーク」が当たり前になった社会の方が、人間的である。周りに働かない人が増えたから、ハードワークをすれば逆張りもできる。
教育にしてもそうだ。
スマホとネットがあるおかげで、YouTubeで大抵のことはタダで学べるし、ChatGPTを使って調べ物もできる。図書館に行かなくても、知識がすぐに手に入る時代になった。
生活の質も大きく変わった。
コンビニ飯は信じられないほど美味くなり、QRコード決済や電子マネーが普及して小銭を持ち歩く必要すらなくなった。
何を買うにもレビューを見ればハズレを引きにくい。便利で、合理的で、ストレスが少ない時代だ。
スマホが塗り替えた車内風景
現代の電車の中でまわりを見渡すと、乗客の9割以上がスマホの画面を見つめている。皆が同じ姿勢で、無言で、指先だけがせわしなく動いている。これは私の最も嫌いな風景の一つであるが、無論、私もその一人である。
私が大学生くらいまでの電車内には、もっと多様性があった。新聞を広げるサラリーマン、ジャンプを読んでいる高校生、文庫本を開くOL、ただ眠っている大学生、何もせずに窓の外をぼーっと眺めている中年男性──誰もがバラバラだった。
今の電車は静かだが、皆一様にスマホを眺めている。その画面の中で何をしているか、何を考えているか、誰にも見えない。個人の自由が極まった結果、他者の時間の使い方が見えなくなった。
私自身、昔はよく「文庫本読んでる俺カッケー感」を出そうとしていた。スマホで本を読んでいても、カッコよさは出せないが、それでもスマホの便利さには勝てずにスマホを見てしまう。やはり、現代は圧倒的に昔より便利なのだ。
思い出補正を自覚しつつ、今を肯定する
「昔は良かった」と言う人の気持ちも、よくわかる。右肩上がりの経済、勢いのある企業、熱気のある街。今では再現できないものかもしれない。
だが、私はこう思う。
情報が溢れ、選択肢が無数にある時代だからこそ、自分で選択できる。思考停止では生きられないが、自分の人生を自分で決められる楽しさがある。かつてのように成功者の定義が明確にされていて、同調圧力に溢れていた時代にはなかった自由だ。
私はバブルの時代を知らない。だから、それを羨ましいと思いつつも、今の時代に生きていることに感謝したい。
だが、たまにはスマホをポケットにしまって、あの頃を取り戻してみるのも悪くない──スマホが便利すぎるが故、なかなか実践するのは難しいのだが、そんなふうにも思っている今日この頃である。
おしまい