先日、電車でふと視線を奪われた。
化粧っけのない、どちらかというと、いやかなり地味なおばさん(推定40代前半)が、座っている私の目の前で黙々と文庫本を読んでいたのを見かけた。
その手元に見えたのは、質素な服装とは対照的な、カラフルなブックカバーだった。
その女性自身には、派手さも色気もないのに(失礼)、その人が持つ「静かな美意識」のようなものが、読書という行為によって見事に発せられていたのだった。
もちろん、彼女が読んでいた本の内容はわからない。
けれど、おそらく小説だろう、彼女の一種の知的な雰囲気から察するに。
そして私は、不覚にも、どこにでもいる中年のおばさんに、少し惚れそうになってしまったのである。
朝はiPad、でも夜は電車読書
このおばさんの魅力に取り憑かれ、最近は私も本を読むように努力し始めた。
とは言っても、朝の電車ではiPadを開いて日経電子版を読む。これは外せない。
繰り返しになるが、これはビジネスマンとしての義務のようなものである。そして、日経電子版を読んでいるような人もほとんどいないので、これはこれで精神的マウントが取れている感じがする。
そして、帰りの電車では文庫本を開く。
最近買ったお気に入りのブックカバーをかけた一冊を取り出し、すました顔で無言のままページをめくる。
それはもう、情報収集のためでも自己成長のためでもない。
ただ、周囲のスマホゲーマーや動画中毒者に対して、「お前らとは違う」という優越感を味わうためだけの行為である(ホント、どうしようもないアラフォーだ)。
ブックカバーへのこだわり
ちなみに、ブックカバーは、わざわざアマゾンで1500円以上出して買った。
手触りの良い生地、控えめで上品なベージュ。
私はこのカバーに文庫本を通し、電車で取り出すたび、知的貴族になった気分になる。
もちろん、スマホで遊ぶ人たちが悪いとは思わない。
だが、自分はそこから一歩上に立っているという“位置取りの確認”として、これは非常に効果的なのだ。
読書の内容など、二の次なのである(笑)
精神的マウントとしての読書
藤原和博氏の「1%の人」理論によると、電車の中でスマホでゲームしている人間は、まずその競争から脱落するとも言っていた(厳密に言うと、パチンコをしている人がまず最初に脱落、スマホゲームはその次)。
電車内でページをめくるたび、「俺は違う」という実感を得る。
これは癒やしでも娯楽でもない。単なる精神的マウントの儀式だ。
浅ましくて卑しいが、でも悪くないものだ。
おしまい
