嫌われ者の自覚
「お前、ちょっと頭おかしいよな」
職場で、私はよくこのように言われる。笑いながら軽口で済ませる者もいれば、眉をひそめて真顔で言ってくる者もいる。割合でいえば、五分五分といったところか。
半分はフレンドリーに、もう半分は嫌悪感に近いニュアンスで言ってくる。
私はそれをいちいち否定しない。事実、普通の思考回路で生きていない自覚はあるし、そもそも普通を目指す気など毛頭ない。変わっている? 結構。常識外れ? 上等だ。
だって「常識」とやらに縛られて生きている連中が、全員つまらないから。
そんな私を、ことさらに嫌っている男がいる。
年齢はほぼ同じ、部署も近い。だが、私の存在そのものが気に食わないらしい。視線に敵意がにじむし、日常の雑談でも必ずと言っていいほど私をディスる。
面倒なことに、こいつは真面目だけが取り柄の典型である。毎朝決まった時間に出社し、昼休みも仕事に最速で戻る。会議資料は誰よりも先に提出。どれも悪いことではない。
だが、退屈なのだ。遊び心がない。ジョークもない。話していて楽しくない。つまらない。
顔も良くない。太っていて、髪も薄い。そして、小太りの童貞臭さが抜けきらない男が、なぜか「昔はモテた」と吹聴しているのだから、開いた口が塞がらない。
誰が信じるのか。あれを信じるようなヤツは、きっとカルト宗教にも引っかかるんだろう。
「キチガイ」でもモテれば勝ち
その彼曰く、私は「キチガイ」らしい。これ、放送禁止用語だぞ。
まあ、そう思ってもらって構わない。むしろ誉め言葉とすら思っている。規格外である証明だ。まともな人間が生き延びられるほど、現代はぬるくない。狂っているくらいでちょうどいい。
そして、それでも、私は女にモテる。これは紛れもない事実・ファクトである。週末になれば、女と話し、飲んで、寝る。
一方の彼はといえば、金曜の夜も真面目に家路につくらしい。塾に通う息子の送り迎えがあるからだという。ご立派である。
父親として、夫としての責務を果たす姿勢に、誰も文句は言えまい。むしろ、賞賛されて然るべきだ。
結婚して、子どもがいて、家庭があって、それで満たされる人間は確かにいる。それを満たす過程で、削ぎ落とされる何かとのトレードオフなのだ。
彼の人生を否定する気はない。自分で選び、自分で守っている生活なのだろう。それはそれで、ひとつの正解だ。
だが、そうであるなら、こっちの生き方に口を挟まないでもらいたい。いま言いたいのはこれだけである。
結局、どちらが幸せなのか
人間の幸福は、他人と比較して測れるものではない。それでも私は、あの男よりずっと満ち足りていると感じる。別に、地位が上なわけでも、年収が倍あるわけでもない。だが、私の方が自由だし公平だ。少なくとも、他人に対して面前で「キチガイ」なんて言わない。
結婚して安定を手に入れることも、尊重されるべき人生の一つだ。それは認める。しかしそれは、あくまで「手放すこと」とセットである。自分の時間、性欲、若さ、好奇心、挑戦。それらのいくつかを捧げることで成立する世界だ。私は、それをまだ手放したくないだけである。
変わっている。狂っている。頭がおかしい。
結構だ。狂人と呼ばれてもモテるなら、それでいい。人生において、「モテる」というのは単なる性欲の充足ではない。承認の証でもある。
私は変わり者だろう。だが、週末の私は、女たちにとって魅力的な存在なのだ。少なくともあの彼よりは。誰がどう言おうと、それが現実であり、否定のしようもないはずだ。
くだんの彼は、今日も「家庭のために」息子を塾へ送り、スーパーで妻の書いたメモを片手に夕食の材料を買っていることだろう。そして、家に帰ってお気に入りのAVでも見てるんだろうか。世間ではあれが「まとも」な大人の姿らしい。そうであれば、俺は「キチガイ」のままでいい。そう思った。
おしまい