人と接する趣味に、じわじわ疲れてきた
かつては、格闘技のジムに週に3回通っていた。
スノーボードにもハマっていた。一人で新潟や長野の山に通って、滑りのフォームを確認しながら練習していた。
だが、年寄りになるにつれ、次第に疲れてきた。
格闘技ジムは、気づけば人間関係の温床だ。受付との雑談、常連との気まずい空気、ミットの持ち合い。そんなつもりで通ってたわけじゃないのに、いつの間にか、運動より気配りに体力を使っていることに気づいた。
スノボは、もっと露骨にコストが高い。時間も金も体力も。
しかも天気任せ。道具はでかく、アクセスは遠い。前日に雪が降るか降らないかに一喜一憂し、滑れるか滑れないかは当日にならないとわからない。そんな不確実性に、次第に魅力を感じなくなっていった。
ミニマリスト的な思考が、趣味にも入り込んできた
年齢を重ねると、「やりたいこと」より「続けられること」の方が重要になってくる。
自分が求めていたのは、何より外部要因に左右されないことである。
物理的な荷物が少なく、天候に振り回されず、人付き合いを強制されないこと。
結果、「読書・勉強・自宅でのトレーニング」この3つに行き着いた。
どれも一人で完結するし、時間も自由だ。
すべてが自分のペースで進み、誰にも評価されない。だが、自己満足としては非常に完成度が高い。つまり、最高の趣味というわけである。
まず読書。
以前は紙の本にこだわっていたが、基本的に電子書籍で十分だ。むしろ、所有しないからこそ、心が軽い。読んでいる間だけ、その世界に入り込めればいい。
次に勉強。
雨の日も風の日も、夜でも朝でも、自分の意志一つで机に向かう。これほどフレキシブルな趣味があるだろうか。
最後に自宅トレ。
自重なので器具は不要。誰にも見られず、黙々と身体を動かす。ジムのような「人目」というノイズがない。
他人との距離感は、コントロールするものだ
もちろん、人間関係を全否定しているわけではない。
だが、平日に職場で必要な会話をこなし、週末は女子と飲みに行く。これで十分だ。余計な繋がりを増やす必要はない。
「趣味を通じて人と繋がろう」なんて幻想は、とっくに捨てた。
共有すればするほど、義務が生まれ、面倒が生じる。
自分が好きなことに、他人を巻き込んではいけない。サードプレイスがどうとか言う人もいるけれど、そんなものは老後にデイサービスで確保すればいい。
結局、“一人でできる趣味”が最強である
毎晩自分のペースで、自分の興味に従って、誰にも邪魔されずに没頭できる時間がある。それだけでメンタル的な安定感がぐっと増す。
流行にも、天候にも、人間関係にも影響されない。
道具は少なく、移動も不要。空いた時間にすっと入り込み、飽きたら静かに抜ける。
こんなに効率が良くて、精神衛生にも良い習慣が他にあるだろうか。
趣味は、誰とも共有しない。一人で孤独に完結するに限るのである。
おしまい