一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

歩きスマホをやめ、考える時間にしよう

このブログで、ここ最近何度も繰り返し書いていることがある。

それは「考えることの大切さ」である。

今回は、誰もが日常的に陥っている「歩きスマホ」という愚行を断ち、思考の時間を持つことについて述べたい。

 

スマホは基本、インプットしかできない

まず、スマホを使っている時、人は基本的に「受け身」だ。

ニュースアプリ、SNS、動画、メール、LINE……。情報は押し寄せるように流れ込んでくるが、その大半は「面白い」「便利だ」と思わせるだけで終わってしまう。

もちろん、そこから刺激を受けることもあるだろう。しかし、受け取った情報を自分なりにアウトプットにつなげなければ、それは単なる情報の消費にすぎない。

 

スキマ時間こそ、最高の思考タイム

私が最近特に意識しているのは「1分の尊さ」である。

人はなぜか「1分なんて何もできない」と思い込む。だからこそ、無意識にスマホを開いてしまうのだろう。

だが実際は、1分あればいろいろなことができる。昨日の出来事を反芻することもできる。「あの会議での上司の一言はなぜ引っかかったのか」「来週の商談で、相手は何を一番気にしているのか」といった問いを頭の中で転がしてみるだけでも、脳は軽く汗をかく。

これは冗談ではなく、脳の“筋トレ”だ。しかも無料で、どこでもできる。

 

どこで考えるか? それは「移動中」が最適

たとえば、昼休みにランチへ向かう数分間。会社のエレベーターを待つ10秒。トイレへ向かう数十秒。これらはすべて、思考のゴールデンタイムである。

私の場合、仕事が立て込んでいる時は「次の会議でどう論点整理するか」「このメールはどんなトーンで書くか」といった思考を密かに回す。

余裕のある日は、「次のブログのネタは何にするか」「ホリエモン夏野剛、中島聡のメルマガにどんな質問を送るか」といった考えに思いを巡らす。

頭を使って歩いていると、目的地に着いたときには思考が整理されているし、そのまま行動に移しやすくなる。何より、時間を有効活用したお得感がある。スマホでだらだら記事を読んでいては、こうはいかない。

 

スマホを見てると、バカに見える

これは偏見かもしれないが、街中でスマホを見ながら歩いている人を見て、知的に見えることはほぼない。目は虚ろで、姿勢も悪い。

逆に、スマホを見ずに前を見て、ゆっくり歩きながら考えごとをしている人は、どこか知的な雰囲気をまとっている。背筋が伸び、目に力があり、エネルギーに溢れている感じがする。

歩きスマホをしている自分の姿を、誰かが後ろから見ていたとしたらどう見えるか。想像してみるだけでも、自戒になるはずである。

 

思考は誰にも奪われない、自分だけの時間

情報は誰かが作ったものだ。ニュースもSNSも、他人が編集した世界である。

だが、考えるという行為だけは違う。完全に自分の中から生まれるものであり、誰にも奪われないし、アップデートもできる。これが大きな違いだ。

だからこそ、私は歩きスマホをやめ、考える時間にしたいと思っている。

目の前の1分、たった10秒でもいい。その瞬間をスマホに明け渡すのではなく、自分の思考に充てる。

そんな小さな習慣の積み重ねが、きっと大きな“差”になるのだと信じている。

 

おしまい