
今朝、Xでこんなツイートを見かけた。
Xはチンパンジーの巣窟ですが、地方はリアルチンパンがめっちゃいますからね。
— 猫山課長 (@nekoyamamanager) 2025年8月21日
シャツの中にピンクのタントクップ着て出勤する奴とか、上司のたばこパクる奴とか、漢字のへんとつくりを逆に書く奴とか。枚挙にいとまがない。…
地方どころか、東京に隣接している八潮や三郷ですら、一度仕事で行ってみてカルチャーショックを受けた記憶がある。
シャツの中にピンクのタントクップを着て出勤する奴、上司のタバコをパクる奴、漢字のへんとつくりを逆に書く奴……。
都市部の優秀層は流出し、地方には「残り物」が残置される。経営者は家庭教育のリカバリーから社員教育を始めざるを得ない。
あまりにも挑発的な内容だが、私は読んだ瞬間「これは誇張ではなく現実に近い」と思ってしまった。地方=人材の残り物という言葉には差別的な響きや選民思想を思わせるニュアンスがある。しかし現実として、都市部と地方の間にはどうしようもない人材の断絶が存在する。
実は私自身も似た経験をしたことがある。三郷や八潮ですら、空気がまるで違う。駅前の路上や牛丼屋に入った瞬間に「ここは別の国か?」と錯覚するほどだった。
取引先近辺で見かけたのは、全身ドンキで揃えたようなヨレヨレのスウェットに、伸びきったプリンの金髪、サンダルの男女。牛丼屋のカウンターでは、箸を持ちながら大声で電話に出て、周囲の迷惑を顧みない。ちょっとした会話でも語彙が粗く、敬語など使う気配はなく、言葉の端々に苛立ちと幼さが混ざっている。
さらに驚いたのは常識の欠如である。店員に対して「ビール先に早く持ってこい!」と命令口調で呼ぶ姿や、路上に平然とポイ捨てをする姿。東京のオフィス街で普段見慣れている「普通の社会人」の感覚とはまるで別世界だった。
私は地方と聞くと、東北や四国、九州のような遠方を思い浮かべていた。しかし実際には、首都圏の隣接エリアですら、都市部とは隔絶した文化が息づいている。三郷や八潮での経験は、地方の現実を垣間見た瞬間だった。
このツイートが指摘するように、優秀な人材は都市部に吸い寄せられる。高学歴層や意欲のある若者は大学進学や就職を機に東京へ移り住む。
地方経営者の苦労は想像に難くない。彼らは人材育成と称しながら、まず人間としての土台を作るところから始めざるを得ない。ビジネスマナーどころか、時間を守ること、嘘をつかないこと、挨拶をすることといった、家庭教育レベルの修正が必要になる。これはまさに家庭教育の敗北をリカバリーする作業であり、義務教育の問題すら超えている。
そうした現場を知ると、都市部の経営論やマネジメント本がいかに現実離れしているかが分かる。パリッとした人材を前提にした理論など、地方のサバンナでは通用しない。まさに寝言である。
この断絶を一言で表すなら、「地下鉄の走っている範囲」と「サバンナ」の違いである。地下鉄が通う都市部では、マナーや常識を備えた人材を前提に組織を回せる。しかし一歩外に出れば、そこは野生が支配するサバンナだ。
地方の経営者はこのサバンナで日々格闘している。だからこそ彼らの人間理解能力は異様に高い。言語化できない領域で、目の前の“野生”を飼い慣らし、組織に適応させる力が磨かれていく。都市部で安全地帯から理屈を語る経営者には、到底わからない現実だろう。
ただ、私は東京生まれ東京育ちで、わりに偏差値の高い高校・大学を経て、JTCを歩んできた。だから根本的には、この世界を理解できない。そして、したいとも思わない。
小中学校は公立だったので、“チンパン”的存在を目にすることはあった。おそらく境界知能に近い子どもたちで、宿題もろくに出さず、授業中に騒ぎ、教師の指示を理解しない。その姿を今はやりの「人間の多様性」と言ってしまえば簡単だが、社会に出たときに苦労するのは明白だった。
しかし、高校以降、私は完全に「上澄みの世界」を歩んできた。周囲には一定以上の知性と規律を持つ人間しかいない。その環境に慣れきってしまった今、地方の現実を完全に理解することはできないだろう。
地方経営者の苦労には一定の理解とリスペクトを覚える。私にはその世界を生き抜く気力も覚悟もない。
だからこそ、これからも地方転勤のない今の職場で、日本の上積みの人材と共に働きたい。都市部で仕事をするということ自体が、私にとっては選んだ生き方であり、正解だと思っている。
おしまい