一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

タクシーは浪費か、それとも投資か

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近頃、飲みに行く回数や女遊びの頻度が激減し、転職による年収アップも重なって、懐に余裕が出てきた。

昔の自分なら、タクシーを使うなんて「成金男か自分の価値を勘違いしたキャバ嬢のやること」くらいに思っていた。公共交通機関が安いのだから、それで十分だろうと。

 

しかし最近になって、少しずつタクシーを使う人間の気持ちが理解できるようになった。理由は単純である。電車やバスに乗るたびに、目につく人々のマナーの悪さ、民度の低さにうんざりすることが増えたからだ。

 

公共交通にありがちなストレス

電車やバスというのは、避けようのない「他人との接触」が前提になっている。その中で以下のような場面に出くわすと、心底疲れる。料金が料金なのだから仕方がない。

 

・大声で会話する若者
・足を広げて座る中年男
・イヤホンからの大音量の音漏れ
・混雑時に割り込みをする人間
・異常なほど酒臭い酔客

などなど。


これらに遭遇すると、その日の気分が大きく削られる。

先日もブログで書いたが、電車で足を意図的にぶつけてくる輩に遭遇した。ほんの数秒の出来事だが、その後の移動全体が嫌な気分で上書きされる。こうした「小さなストレス」は馬鹿にできない。積み重なると、その日の気力をごっそり奪ってしまうのである。

 

タクシーで得られる安心感

その点、タクシーには公共交通にない安心感がある。

まず、他人と密接に関わらずに済む。自分と運転手だけの空間であり、不要な人間関係の摩擦はない。

次に、空間を自分の意思でコントロールできる。静かに目を閉じて考え事をしてもいいし、仕事の電話をしてもいいし、本を読むこともできる。「周囲にどういう人が乗ってくるだろうか」という不安を抱く必要がないこと自体が、大きな価値なのである。

 

さらに、酒を飲んで帰るときの移動手段としても、タクシーには大きな安心感がある。酔っている状態で公共交通機関を利用すると、余計なトラブルに巻き込まれる可能性が高まる。混雑した電車内で他人と肩がぶつかり、言い争いに発展することもあれば、気づかぬうちに財布やスマホを落としてしまうこともある。酔客同士の小競り合いに巻き込まれるのも避けたい。

その点、タクシーであればそうしたリスクを極小化できる。乗車したら目的地を告げるだけで、自分は後部座席で静かに座っていればよい。ケンカに発展する余地もなく、貴重品を落とす可能性も低い。酔いが回って判断力が鈍っているときほど、余計な摩擦を避け、安全に家に帰るということ自体が最大の自衛策になるのだ。

 

「浪費」ではなく「投資」という視点

タクシー代は確かに安くはない。しかし、それを「浪費」と切り捨てるのは浅い見方に思えてきた。むしろ、タクシー代は自分の心の平穏を守るための保険料であり、未来の自分にリターンをもたらす投資とも言える。

体力と同様に、気力も有限である。知らない他人のマナー違反や、酔客との不快な接触に気力を奪われるのは、人生における無駄な消耗だ。

そうした不要な摩耗を避けるために数千円を払うのは、決して高い買い物ではない。むしろ、外で気力を無駄にすり減らさないことこそ、仕事や勉強、そして自分の成長に集中するための土台となる。

 

結局、タクシー代とはある種の「自分の時間と精神を守る投資」だ。浪費ではない。むしろ未来の自分を支えるための合理的な支出であると考えるべきなのかもしれない。

 

おしまい