私が20代前半だった2000年代は、酔っ払いは街の自然な風景だった。
金曜の夜、渋谷や新宿の街には路上で寝てるやつがいて、タクシー乗り場には吐き気を堪えてるやつがいて、コンビニの前で泥酔した若者が地べたに座っていた。
また、終電の車内には、どの車両にも一人は限界ギリギリの顔をしたサラリーマンがいた。目を閉じて、つり革にぶら下がるように立ち続ける。隣の人は微妙に距離を取る。
そんな風景が、当たり前に存在していた。
そして、自分もその風景の一部だった。
学生時代と新社会時代、飲み会は酔ってなんぼ。
羽目を外して、記憶がなくなり、翌朝に後悔して、でもまた週末が来れば飲んでいた。
先日も書いたが、最近は可能な限り酒を控えている。自分の意思で酒を控えるという内容で書いたが、それ以外にも酒を遠ざけている理由は3つあるように思う。
ひとつは、世間の飲み文化が変わったこと。
「飲め飲め」「潰れろ潰れろ」みたいな昭和・平成のノリはもうほとんど残っていない。
一次会で帰るのも普通になったし、ノンアルを選ぶ人も増えた。
昔は「空気読めない」と言われたような行動が許容されるようになった。世間全体が「ちゃんとした大人」の方向にシフトしている。
ふたつ目は、SNSで晒されるリスクが大きくなったこと。これ、個人的には結構デカい。
スマホのおかげで誰もが記録者になりうるこの時代、泥酔して記憶が飛んでるあいだに、何かやらかして写真が出回る、なんてことは普通にあり得る。
職場の信用、取引先との関係、自分の社会的立場。そういうものが、たった一夜の失態でガタガタになる可能性がある。
かつては「笑い話」で済んだ酔い方が、いまでは「信頼失墜」につながる。
自衛のためにも、酔っ払って記憶がないなんて状態は、もう許されない、と感じる。
そして3つ目。これが一番大きいが、自分がおっさんになったということ。
若い頃は、ちょっとくらい羽目を外しても「若いね」で済まされた。
だが40過ぎて、スーツ姿で千鳥足になってる姿、道端で寝てる姿、手すりに寄りかかって吐きそうになってる姿を想像すると、ただただ情けない。
そもそも、二日酔いがきつくなった。体力的にも抜けないし、翌日が完全に潰れる。
それが仕事の日でも、休日でも、どちらでもダメージが大きい。
一晩の飲酒が、次の日の自分のパフォーマンスを丸ごと奪っていく。
酔わない程度に飲むだけでもそこそこ楽しい。その後、家に帰って読書をしたり勉強をしたり、生産的な時間を過ごせたら最高だ。それくらいが、これからの自分にはちょうどいいと思う。
こうした酒の飲み方を最初からしていれば、全く違った人生になったと思う。酒には途方もない時間も金を注ぎ込んできたので、その分仕事や勉強をしていたら、今ころ大出世していたか高尚な資格でも取っていたかもしれない。でもそれは、ものすごくつまらない人生だった気もする。あれはあれで、必要な時期だったのだ。
振り返ってみれば、何も考えず飲んだくれて潰れていた頃が一番面白かった。だけど、人いつまでもバカではいられない。そういうことなのだろう。
おしまい