私の部には、元JTC出身のおじさんが3人いる。
年齢も経歴も違うが、口を揃えて「自分は最短で出世していた」と偉そうに語ってくる。
「フムフム」と内心はハナクソをほじりながら真面目に聞くフリをするものの、そのうち私はつい意地悪な質問をしてしまう。
「そんなに順調だったのに、なんで辞めたんですか?」
途端に、彼らの口数が減る。必殺技が決まったかのように、さっきまで得意げに武勇伝を披露していた人間が、急に言葉を選び始めるその瞬間は、滑稽である。
私は自分の経歴を隠さない。
「左遷されて上手くいってなかったから転職して、もう一度会社員人生をやり直そうと思った」—こう素直に言う方が、よっぽど魅力的ではないか。
なぜなら、その一言の中に、過去の反省と未来への前向きさが同時に詰まっているからである。
思うに、JTCから中小〜中堅企業に流れてくる人材には、共通する言動パターンがある。
「○○億円規模の案件を回していた」
「部長や役員と直接やり取りしていた」
「若手のエースと言われていた」
こうした話は事実かもしれない(とはいえ、とても上の3人はそこまで優秀な人には見えないのだが)。
だが、現職での成果と結びついていない場合、それはただの昔話である。
聞き手が内心で思っているのは、「で、今は何ができるの?」という一点だけだ。
過去の栄光は、彼らにとって自己肯定感を維持するためのトランキライザーなのだろう。
新しい環境で成果を出せていない不安を隠すため、「自分は本来もっと上のレベルの人間だ」というストーリーを繰り返し再生する。
そして何より、「大手=優秀」という社会的ラベルの力を手放せない。
繰り返すが、本当に彼らが順風満帆だったのなら辞める必要はない。
だからこそ、転職には必ず何らかの理由がある。
人間関係の悪化、評価の低下、部署異動による環境不適合、問題行動による処分歴など。
自分が何に躓いたのかを正直に向き合える人間だけが、次のステージで再起できる。
私は、自分が左遷されたことも、当時やる気をなくして腐っていたことも隠さない。
そのほうが、現職の人間にとっても信頼しやすいし、必要以上に自分を大きく見せる必要もない。
「最短で出世していた」と自称する人たちは、その後の物語を省略する。
私はむしろ、失敗を語れる人間の方を信頼する。
なぜなら、過去を直視した上で、それでも前に進もうとする人間こそが、本当の意味で再起できるからである。
転職後に生き残るのは、過去のJTCの看板を下ろし、自分をアップデートし続ける人間だ。
そして、その覚悟は「俺は大手出身だ」という一言よりも、はるかに雄弁であると思うが、いかがだろうか?
おしまい