一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

社内競争と受験戦争についての考察

最近、仕事にやる気になり、周りに勝ちたい勝ちたいと思い始めている。

今日は、これから本格参入する(つもりの)社内競争と、かつて死ぬ気で戦った受験戦争を比べてみたい。

 

会社で冷静に周りを見渡すと、既に勝負から降りている人も多くいることがわかる。

ワークライフバランスに舵を切った同僚、子育てと家事を最優先にする同世代、健康を理由に残業を避ける人など。

 

土俵に立ち続ける気のある人間からすると、実質的な競争相手は思ったより少ない。おそらく、会社の「競争率」は見かけほど高くないのだ。

 

マトリクスにしてみると、以下のような感じだろうか。

図表:大学受験と仕事の「負荷の性質」比較
項目 大学受験 仕事
期限の明確さ 試験日が固定、後ろ倒し不可。準備期間は1〜2年。 納期はあるが延期・再調整の余地がある。
評価基準の明確さ 点数・偏差値・合否で一発判定。 上司や組織の主観が混ざりやすい。
競争の直接性 全国同世代の一斉競争、順位が可視化。 社内・業界で分散。土俵に上がらない人も多い。
範囲の固定度 出題範囲が明確で「全部やる」前提。 業務範囲は流動的。得意寄せ・分担が可能。
失敗の回復難易度 本番失敗→浪人・志望変更など年単位の痛手。 次案件で挽回可能。回復の機会が多い。
心理的プレッシャー 「一発勝負」の緊張が高密度でかかる。 慢性的ストレスだが分散しやすい。
生活リズム 受験中心の生活に最適化される。 勤務外の余白あり(職種次第で侵食)。
成果と努力の相関 努力が結果に直結しやすい。 景気・政治・人間関係など外部要因が強い。

 

大学受験は過酷だった。同じ世代の人間が、同じ日に、同じ問題を解く。この条件下だと全く言い訳ができない。

一年の時間をこの「一点突破」に全部つぎ込む。最後は数字のみで勝ち負けがつく。ここまで剥き出しの勝負は、社会に出てからあまり経験しない。

 

仕事は長期戦だ。評価は数字だけじゃないし、納期は延びるし、仲間が助けてくれる。苦手は社内外に外注して得意を濃くすれば、平均点勝負から離脱できる。土俵自体を選び直すこともできる。つまり「逃げ道の設計」も実力のうち、というゲーム設計になっている。

だから、大学受験のほうが精神的にきつかった、という感覚は正しい。あの時期は、逃げ道を持つ自由すらプログラムされていなかった。

 

では、今どう勝つか。

結局、やることはシンプルで、「受験の強さ」を社会人仕様に翻訳するだけだと思う。出題範囲の不在に怯えず、自分で範囲を定義する。評価の曖昧さに文句を言わず、評価者を特定して意思決定の基準を掴む。“土俵に残っている人”だけを相手にする。これだけでも、勝率は一段上がる。

 

受験は「一発で人生が決まる気がする」ゲームだった。

仕事は「何度もやり直せる」ゲームだ。

じゃあ、やり直せるうちに何度でも“短期決戦”を仕掛ければいい。今月負けても翌月またやればいい。周りが降りた瞬間、競争は勝手に楽になる。勝ち筋は、案外いつも視界のスミに落ちている。拾うかどうかだけが、こっちの問題だ。

 

ただ、やっかいなのは、受験の時と違い、勝負から降りたはずの奴らも、評価だけはされたいと思っている点である。

そういった人間に足を引っ張られないよう、常に警戒態勢を取ることも重要だと思われる。

 

おしまい