
私の勤務先のような転職者が多い会社にいると、頻繁に男たちの武勇伝を耳にする。
「前職では〇〇部門の責任者だった」「自分は最短で課長になった」など、過去の実績を誇る言葉が飛び交う。特に、飲み会になるとマウント合戦の様相だ。
しかし、そうした話に接するたびに、私は内心こう思っている。
――オマエ、それでこの体たらく? と。
過去の話で自分の価値を証明しようとする姿は、大変みっともないし、大人の男としてやるべきではない行動だと思っている。
そうやって自分を大きくしようとするヤツに、周囲は苦笑するしかない。本人がいない場所でひそかに「酒の肴」になっていることは本人はもちろん知らない。
仮に、過去の経験やスキルが現在の仕事に十分に活かされているならば、百歩譲ろう。
だが、パフォーマンスが伴っていないにもかかわらず、武勇伝だけが前面に出てくるヤツがあまりに多い。
武勇伝ばかり語る人は、なぜそうせざるを得ないのか。
答えは簡単で、「今の自分に語れる成果がないから」である。つまり、現在の業務での存在感や周りからの信頼を確立できていないがゆえに、過去の肩書きや成果にすがってしまうのだ。
先日、このブログで紹介した男がそうだ。
alonewolf-memorandum.hatenablog.com
会議の場でも現場でも大したアウトプットは出せないのに、「前職では」「俺がやった案件では」と過去の話を持ち出しては周囲にアピールする。だが、誰もそのすごさを実感できない以上、話を聞かされる側としてはただの自己満足にしか映らない。苦痛だ。
私は思う。
お前が前職で最短で課長になったかどうかなんて、誰も興味ない。
それよりも、今この場でどんな働きをしているかのほうが、よほど大事だ。
自慢しないという美徳
愚痴を言わない、悪口を言わない、不満を言わない。
まだまだ私自身至らぬ点があるが、これは社会人として最低限守るべきマナーである。だが、私はそこにもうひとつ、「自慢をしない」ことも加えたいと思っている。
なぜなら、自慢とは、聞き手の存在を無視した”独り語り”だからだ。
多くの場合、それは相手にとって何の利益もないし、共感や尊敬も産まない。
むしろ、「俺すごいでしょ?」という押し付けがましさだけが残り、聞いている側はうんざりしてしまう。
その点、自慢しない人は美しいと思う。男たるもの美徳を大切にして生きるべきだ。
言葉ではなく、行動や成果で静かに語る。
「この人、すごいな」とあくまでも"自然に"思わせる。
過去を語るなら、失敗談だけでいい
もちろん、過去を語ること自体を否定するつもりはない。
むしろ、過去の失敗談を明るく語れる人に、私は魅力を感じる。
なぜなら、失敗談には学びがあり、謙虚さがあり、そして成長があるからだ。
「自分はこういうことをして失敗した。でも、そこからこう学んだ」
そんな話には、聞き手も自然と引き込まれる。そしてそこには、自分を大きく見せようとしない真摯さを感じる。男が過去を語るなら、成功談ではなく失敗談であるべきだ。
今の仕事で結果を出そう
「昔すごかった(らしい)人」ではなく、「今すごい人」でいたい。
過去の実績にしがみつくのではなく、今の仕事で信頼を勝ち取る。
そのためには、自慢ではなく、実績を積み上げること。語るのではなく、黙ってやること。
自慢は一瞬で終わる。だが、信頼は時間をかけて積み重なっていく。
誰かに評価されたいなら、語るよりも、黙って結果を出す方が早い。
そんな信念を胸に、私はこれから勝負していきたいと思う。
おしまい