一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

スマホのない時代の昼休みってちょっと楽しかった

NTTドコモ モバイル社会研究所の調査によれば、スマートフォンの普及率は2010年にはわずか4%程度にすぎなかった。それが2015年には5割に達し、2019年には8割、2021年には9割を超えた。

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引用:https://www.moba-ken.jp/project/mobile/20250421.html

 

言うまでもなく、現在ではほぼすべての人がスマホを手にしている。

振り返れば、私の20代はスマホ普及の過渡期に重なっていた。社会に出て数年の頃、周囲の人々が一斉にスマホを持ち始める光景を体験した世代なのである。

 

普及率の統計よりも、実際の肌感覚はそれ以上に速かった。

私の世代では2015年時点で既に「スマホを持っていない人の方が珍しい」と思えるほどだった。新しいアプリを紹介し合うようになったのはこの頃で、同時に「みんなが同じ画面を覗き込む」時代の始まりでもあった。

 

昼休みのランチ風景

それ以前の昼休みは、今にして思えばもっと人間臭かった。職場で昼になると、同期の女子や歳の近い先輩と連れ立って外に出るのが習慣だった。

ランチをとりながら、仕事の愚痴や合コンの話など、くだらないことで笑い合った。スマホで時間を埋めることができないからこそ、強制的に会話が休憩時間の中心にあったのだ。そして、スマホに目がいかないため、今と違って、ずっと相手の目を見て話していた。その光景は、いま振り返っても鮮やかに蘇る。

 

人との距離感

当時から私は本を読みまくっていた。しかし、昼休みに本を外へ持ち出すのは面倒であり、何を読んでいるのか詮索されるのも鬱陶しかった。結果として、この私ですら一人で過ごす時間は少なかった。自然と「誰かと一緒に食べる」という選択をしていたのである。スマホがなかったことで、むしろ人との関わりが必然となり、社会人生活の一部に強く組み込まれていた。

 

苦しかった時期を支えてくれた会話

仕事を始めたばかりの頃は、何もかもが辛く感じられた。理不尽な叱責や成果の出ない焦燥感に押しつぶされそうな日々だった。

今だったらもっと気の合う人がSNSで簡単に見つかり、もっと楽に精神的な救いが得られていたかもしれないが、当時、昼休みの何気ない会話が私を支えていたのは認めざるを得ない。スマホに逃げ込む余地がないからこそ、目の前の人と向き合う場が残っていたのである。

 

現代における希少なスマホを見ない人

今の時代、会話の最中でも無意識にスマホへ視線を落とす光景が当たり前になった。しかし私には、希少な例外が存在する。

2週間に一度、金曜の夜に飲みに行く女子がいるのだが、彼女は飲んでいる最中も翌朝別れるまでほとんどスマホを見ない。必要な調べ物のとき以外は画面を開かず、ただ目の前の会話に集中している。その姿勢は今や貴重であり、私はそこに強く惹かれている。

飽きっぽい私が彼女から離れられないのは、そうした魅力に取り憑かれているからかもしれない。

 

まとめ

スマホの普及は人との関係を便利にし、同時に希薄にもした。

スマホのない昼休み」の時間には、人と人が向き合う濃さがあった。それは今思うとかなり面倒で、時に重苦しいものでもあり、もう戻りたいとは思わないが、ちょっと楽しかったのも事実だ(これも思い出補正か)。

今どき、スマホを見るななどと他人に言えないし、私自身言われたくもない。しかし、私はスマホに覆われ尽くした日常の中で、画面に縛られない会話の価値を探し続けているのかもしれない。

 

おしまい