
出世競争の現実 ― 群れることの意味
会社の出世競争では、多くの場合「群れること」が安全策とされている。
例えば飲み会に顔を出し、派閥的なつながりを築き、上司の好みに合わせて振る舞う。
これは短期的には合理的であり、「空気を読める人間」として扱われる。
しかし、その反面で「群れの論理」に飲み込まれ、自分自身の独自性や判断力を失ってしまう危険がある。
群れることは守りの戦略に過ぎず、本質的な意味での「実力」を保証するものではない。むしろ多数派に甘えることは、出世競争において自分の軸を鈍らせる要因になり得る。
群れない強さ ― 評価軸の自立
思うに、群れないというのは、孤立を好むことではなく、「評価軸を自分の内に持つ」ということだ。
・上司がどう言おうと、クライアントに価値を出せているか
・同僚が何をしていようと、成果に直結する時間の使い方ができているか
・飲み会に出なくても、仕事の中で信頼を獲得できているか
このように、自分の行動基準を「組織内の風向き」ではなく「成果」や「価値提供」に置ける人間は、群れなくても力を発揮できる。
結果として、長期的に見ればむしろ「頼られる存在」として浮上する。
石破首相に見る「孤独の強さ」
この構図は、政治の世界にも通じる。
先般ついに辞任を表明した石破首相は自民党内で少数派であり、「党内野党」とも言われていた。
だが、派閥の大勢に支えられているわけでないからこそ、党内のしがらみに縛られず、方々から辞任を迫られても頑なに退かない強メンタルを発揮している。
大きな派閥を背負う政治家であれば、仲間の顔色や将来の取引を考えざるを得ない。しかし石破氏には守るべき「群れ」が少ない分、信念と意地だけで踏みとどまれる。孤独は弱さではなく、むしろ「退かない自由」をもたらしている。
これはあらゆる組織人にとって示唆的である。群れに守られない人間は、一見すると脆弱に見える。しかし、群れから自由であるがゆえに、意思を貫ける強さを持つ。石破氏の姿はその典型例である。
人間にとって、イヤな時に「イヤ」と言えることは最高の自由なのではないだろうか。
群れない強さがもたらす自由
群れない強さを持つ人間は、しがらみに左右されない。だからこそ、次のような自由を手にする。
時間の自由:不要な飲み会や雑務に縛られず、自分の勉強・自己投資に時間を使える。
発言の自由:空気を読む必要がないから、会議で本質的な意見をぶつけられる。
キャリアの自由:社内の派閥に依存しないから、転職や独立といった外の選択肢をも持ちやすい。
孤独であるがゆえに動ける範囲が広く、最終的には「群れる側よりも自由度の高いキャリア」を築ける。
結局、孤独を恐れない人間が勝つ
出世競争の舞台では、群れる人間が大多数を占める。
だからこそ、群れない人間は少数派であり、孤独に見える。
しかし、その孤独はむしろ強さの源泉となる。群れに頼らずに成果で勝負する人間は、短期的には浮いて見えるが、長期的には「替えがきかない存在」として評価されると私は思っている。
おしまい