
先日、ネットで見かけた記事に痛快さを覚えた。
新幹線の指定席に外国人が居座っていた。そこで日本人が「あなたの席じゃない!」と日本語で一喝したところ、相手はすぐに立ち去ったという。
英語は一切使っていない。だが、それで問題は解決。要するに、必要なのは語学力ではなく勢いなのである。
日本でのルールは日本語で通せ
道を尋ねてくる外国人に、片言の英語で応じるのはいい。こちらに害がないなら協力するのも全く悪くはないだろう(むしろ可能な範囲ですべき)。
だが、ルールを破る、マナーを守らない、こちらに迷惑をかける──そういう相手にまで下手な英語で説明してやる必要はない。ここは日本である。従うか退くか、それしか選択肢はない。
むしろ日本語で押し切る方が効果的である。相手が意味を理解しなくても、声の調子や表情、身振り手振りで“怒り”や“拒絶”は確実に伝わる。下手に「This is my seat」などと気を遣うから、相手はつけ上がるし舐められる。日本語で一方的に捲し立てればいい。理解できなくても構わない。こちらの主張を通すことこそが大事なのだ。
下手な英語は服従のサイン
日本人は「英語を話さなければ」という強迫観念に縛られている。
だが下手な英語は、外国人からすればただの“服従のサイン”になりかねない。自分が相手の土俵に上がってしまった瞬間、主導権は向こうに移る。そうして相手に譲歩し続け、最後には理不尽な要求まで受け入れてしまう。
日本語で強く言う方がよほど合理的だ。ここが日本である以上、相手は文句も言えないはずだ。
恋愛においても同じ構図
脱線するが、恋愛でも同じことを経験した。かつてマッチングアプリで韓国人の女性と会ったことがある。
彼女は終始、英語でやり取りしようとした。ある種マウンティングを取ろうとしていったのは明らかだった。こちらも合わせて英語を使う選択肢もあったが、私は日本語しか使わなかった。英語を拒み、日本語だけで押し通した。
結果、相手は折れ、会話はすべて日本語になった。最終的にはそのまま即った。言語の問題ではない。完全に主導権の問題だ。迎合すれば相手のペースに乗せられる。押し切ればこちらの流れになる。それだけの話である。
語学力よりも主導権
誤解してほしくないのは、私は語学を軽視しているわけではない。英語ができれば色々と可能性は広がるだろう。だが、少なくとも国内でのやり取りにおいては、語学力よりも主導権の方がはるかに重要だ。外国人対応で必要なのは「相手に合わせるスキル」ではなく「相手に主張を通す態度」である。
結局、コミュニケーションとは言葉の巧拙ではなく、力学の問題である。押し切った者が勝ち、譲った者が負ける。
まとめ
外国人対応は語学力よりも勢いである。善意の相手には柔軟に、しかし不遜な相手には日本語で叩きつければいい。
ここは日本であり、日本語こそがこの国のルールを貫く言語である。語学力など二の次だ。必要なのは堂々とした態度、そして一歩も引かない勢いである。
おしまい