一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

「24時間戦えますか?」の正体を考える

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ダイヤモンドの記事を読んで共感した「現代の疲れ方」

ダイヤモンド・オンラインで「昭和の熱血サラリーマンより、イマドキ会社員の方が疲れている」という記事を読んだ。すぐに読めるので、ぜひ読んでみてほしい。

diamond.jp

内容はまさにその通りで、現代の会社員は“働く時間”よりも“働き続ける構造”に疲れていると感じる。

オンライン会議、鳴りやまないチャット通知、スケジュールの隙間を埋めるリマインダー。

いまや1日の中に「完全なオフ」はほとんど存在しない。

 

私は、その変化をちょうど身をもって経験してきた世代だ。

ガラケー営業時代から、スマホ常時接続社会への転換をリアルにまたいだ。

 

ガラケー営業時代」の幸福

社会人になったばかりの頃、営業職で外回りをしていた。

当時はまだガラケーしかなく、ショートメールも文字数制限があり、写真もまともに送れなかった。

通信速度も遅く、ネットを開いても見づらい。

だから、移動中に携帯を見るという文化自体がなかった。

 

アポとアポの間には、自然と空白の時間が生まれた。

電車の中で参考書や文庫本を読む。

駅前を少し歩いて、その街の雰囲気や季節の移り変わりを感じる。

そんな時間が、今も鮮明に思い出として残っている。

連絡がつかないことは、大いなる気分転換だった。

次の予定までの時間をどう使うかは、自分で決められた。

その余白が、精神的なゆとりになっていたのだと思う。

 

スマホとチャットが奪った“思考の休憩”

それから十数年で、働き方は一変した。

スマホが普及し、さらにコロナ禍になり、チャットツールやオンライン会議が日常になった。

移動中もSlackやTeamsの通知が飛び、返信を後回しにすると既読だけが残る。

 

この変化は、単に便利になったという話ではない。

脳が常に仕事に備え続ける状態になったということだ。

かつてのようにボーっとできる時間が、ほとんどなくなった。

 

「24時間戦えますか?」の意味が変わった

1989年の栄養ドリンクのCMで流れた「24時間戦えますか」というフレーズは、当時の“熱血サラリーマン”を象徴する言葉だった。

冒頭の記事でも語られているが、実際の彼らは24時間働いていたわけではない。

移動や休憩の中に、自然なオフがあった。

いま思えば、彼らは「戦っているフリをして休める時代」に生きていたのかもしれない。

 

一方で、現代のサラリーマンは違う。

スマホ一つで上司にも顧客にも即座につながる。

昭和の時代にあくまで“比喩”だった言葉が、令和ではほとんど“現実”になってしまった。

「24時間戦える」ではなく、「24時間つながってしまう」。

その違いこそが、疲労の本質を変えてしまった。

 

“余白”を取り戻すために実践できること

完全にオフラインで過ごすことは、もはや難しい。

だが、だからこそ意識的に“余白”を作る必要がある。

 

私の場合、帰り道にはスマホを見ない。

昼休みは散歩をしながら、考え事をする。

誰にも通知されない時間を意図的に確保するのである。

そんな「何もしない時間」が、これからの時代にこそ必要なのだ。

 

おしまい