
ダイヤモンドの記事を読んで共感した「現代の疲れ方」
ダイヤモンド・オンラインで「昭和の熱血サラリーマンより、イマドキ会社員の方が疲れている」という記事を読んだ。すぐに読めるので、ぜひ読んでみてほしい。
内容はまさにその通りで、現代の会社員は“働く時間”よりも“働き続ける構造”に疲れていると感じる。
オンライン会議、鳴りやまないチャット通知、スケジュールの隙間を埋めるリマインダー。
いまや1日の中に「完全なオフ」はほとんど存在しない。
私は、その変化をちょうど身をもって経験してきた世代だ。
ガラケー営業時代から、スマホ常時接続社会への転換をリアルにまたいだ。
「ガラケー営業時代」の幸福
社会人になったばかりの頃、営業職で外回りをしていた。
当時はまだガラケーしかなく、ショートメールも文字数制限があり、写真もまともに送れなかった。
通信速度も遅く、ネットを開いても見づらい。
だから、移動中に携帯を見るという文化自体がなかった。
アポとアポの間には、自然と空白の時間が生まれた。
電車の中で参考書や文庫本を読む。
駅前を少し歩いて、その街の雰囲気や季節の移り変わりを感じる。
そんな時間が、今も鮮明に思い出として残っている。
連絡がつかないことは、大いなる気分転換だった。
次の予定までの時間をどう使うかは、自分で決められた。
その余白が、精神的なゆとりになっていたのだと思う。
スマホとチャットが奪った“思考の休憩”
それから十数年で、働き方は一変した。
スマホが普及し、さらにコロナ禍になり、チャットツールやオンライン会議が日常になった。
移動中もSlackやTeamsの通知が飛び、返信を後回しにすると既読だけが残る。
この変化は、単に便利になったという話ではない。
脳が常に仕事に備え続ける状態になったということだ。
かつてのようにボーっとできる時間が、ほとんどなくなった。
「24時間戦えますか?」の意味が変わった
1989年の栄養ドリンクのCMで流れた「24時間戦えますか」というフレーズは、当時の“熱血サラリーマン”を象徴する言葉だった。
冒頭の記事でも語られているが、実際の彼らは24時間働いていたわけではない。
移動や休憩の中に、自然なオフがあった。
いま思えば、彼らは「戦っているフリをして休める時代」に生きていたのかもしれない。
一方で、現代のサラリーマンは違う。
スマホ一つで上司にも顧客にも即座につながる。
昭和の時代にあくまで“比喩”だった言葉が、令和ではほとんど“現実”になってしまった。
「24時間戦える」ではなく、「24時間つながってしまう」。
その違いこそが、疲労の本質を変えてしまった。
“余白”を取り戻すために実践できること
完全にオフラインで過ごすことは、もはや難しい。
だが、だからこそ意識的に“余白”を作る必要がある。
私の場合、帰り道にはスマホを見ない。
昼休みは散歩をしながら、考え事をする。
誰にも通知されない時間を意図的に確保するのである。
そんな「何もしない時間」が、これからの時代にこそ必要なのだ。
おしまい