高市さんに首相が代わり、早速労働時間規制の緩和が検討されている。
高市さん自身、かなりのワーカホリックと思われるエピソードが多数出てきており、日本のビジネスパーソンが世界と伍するために、これは必ず必要なことだと思う。
日本人が休んでいる間に、世界の優秀なライバルたちは働いているのだから。
働き方改革(2015年頃)以降、長時間労働を抑えるという大義が優先され、個人の意思は後ろに退いてきた。
私はその空気を前職で経験した一人である。このニュースを読み、当時の五年間を思い出した。
働き方改革によって、働く意思とは無関係に労働時間が制限された。
さらにJTCの組織文化の中で、上司との一度の衝突で評価の場すら奪われた。制度と組織、その両面から「働きたい私の自由」は押しつぶされていた。私はその中で、評価されない五年間を過ごした。
やがて私は、早く帰ることや直行直帰を増やすことばかりを考えるようになった。そのために社内で摩擦を避けるための調整に時間を使い、成長も緊張感もなくなっていった。
ある時期から、営業車で過ごす時間をひたすら勉強にあてた。
他者から見ればサボりにしか見えない行動だっただろう。勤務先から評価が得られない以上、何かを自分に残す必要があった。
新人時代にあれだけ苦戦していた日経新聞がいつの間にか理解できるようになったのは嬉しかった。分からない語句をひたすら調べ、背景を知り、用語を積み上げた結果である。
社会とビジネスの動きを理解できたとき、私は少しだけ前に進めたと感じた。外から見える評価はゼロのままだったが、内的な蓄積は進んでいたのである。
周囲から見れば、相変わらず私は停滞していた。
しかし、評価の場が与えられない期間でも、知識と思考だけは自分の意思で積み増せた。この差分が「来たる決戦の時期」に生きると考え、淡々と続けた。
そして2年前、誰にも知られることなく転職に成功したのである。
今、政府が働く意思を尊重する方向に舵を切りつつあり、私は大変肯定的に受け止めている。
規制や制度が変わることで、過去の積み上げが外側の成果に変換される機会が増えると考えるからである。働きたい人間が働けることは、よいことだ。
これからは労働に時間を投下できる人たちの競争が熾烈になるだろうが、あの空虚な五年間を無駄にはしまい。評価が得られなかった時間に蓄積したものを、これからの時間で必ず回収する。
自由に働ける余地が広がるなら、私は結果を取りに行く。あの積み上げた五年を意味のあるものだと証明するために行動するのみである。
おしまい