
営業から企画へ。
実は、最初はあまり気が乗らなかった。ひたすら数字を追って顧客と駆け引きするのが自分の仕事だと信じていたし、会議室にこもり、ホワイトボードで未来の計画を立てることに何の価値があるのかと思っていた(前職で、営業<企画という序列も嫌だった)。
だが、新聞や本を日常的に読むことが習慣になっている自分にとって、企画の仕事は思いのほかしっくりきた。なぜなら、日常のインプットをそのまま活かせるからだ。むしろ、知識を形に変える場ができたことで、本や記事に触れる意味が何倍にも膨らんだ。一度始めたらやめられないのではないか――そんな予感を持ち始めている。
企画することをテーマにした、高瀬敦也氏の『企画』という本にも、インプットの重要性について以下のような記載がある。
インプットしまくるだけで一流の企画者に
企画とはゼロベースで何かを思い付かなければいけないものではありません。既にあるものを広げたり、置き替えたり、まとめたり、組み合わせを考えたりする作業です。
しかし、決める際に「既にあるもの」をパーツとしてたくさん持っておかなければ、どうにもなりません。パーツが多ければ多いほど、選択肢が増え、様々な企画を生み出しやすくなります。
そして、選択肢を増やすこと以外にインプットが必要な理由がもうひとつあります。それは脳内に描く画(イメージ)の共有のためです。
企画を実現するうえで、多くの人の協力が必要となります。自分が描いた画を誰かに伝える際、どうすればよいでしょうか。今までにない新しいものを人に伝える時は、これまでにあるものとの類似点や相違点を例示することによって伝えるしかありません。相手が知っているものや、頭に思い浮かべられるものを知っていないと、新たに描いた企画イメージを伝えることができないのです。
企画の仕事の醍醐味
思うに、企画の醍醐味は「トレンドを企画に落とし込む瞬間」にある。
ニュースで見た世の流れや、書籍で知った理論が、自社のプロダクトやサービスに具体的な形で結びつく。その時、単なる知識が戦略に変わる。これは営業では味わえなかった感覚だ。
ただし、頭でっかちにならずに自分は現場課題から入りたいタイプだ。顧客が困っている姿を想像するところからの企画を大事にしたい。その強みは営業経験で培ったものだ。数字だけで積み上げたアイデアよりも、現場のリアリティを伴った企画は人を動かしやすい。説得力は、課題感覚の鮮度に依存する。営業の現場を知っているからこそ、企画で強みが発揮できると感じている。
数字との付き合い方
ただし、中長期的な数字の予測はどうしても苦手だ。利用者数や単価を積み上げて5年後を描く作業は、どうにも退屈に思える。
だが、最近は考え方を変えてみた。数字は単なる計算ではなく「未来のシナリオ」を描く道具だと捉える。インバウンドが倍増したら? 競合が同じ施策を打ち出したら? それぞれの前提でシナリオを立ててみると、未来をシミュレーションする遊びに近づく。
また、数字を扱う時も、現場課題と結びつけると楽になる。クライアントの声が100件集まったらどんなインパクトになるか。現場の顔を思い浮かべながら数字を置けば、ただのエクセル作業が現実味を帯びる。企画にとっては「課題感覚」と「数字の裏付け」が両輪だと実感する。
日常生活が企画のトレーニング場
企画の仕事を続けていると、日常生活そのものがトレーニング場に見えてくる。街を歩いて気になる店を見れば「なぜここに人が集まるのか」と観察する。スーパーの価格設定を見て「どんなロジックで決めているのか」と考える。
新聞や本から得た知識はストックしておく。後で企画に流用できる引き出しが増えていく感覚は、ゲームでアイテムを集めているようなものだ。さらに、人との雑談もテストマーケティングになる。「こういうサービスがあったらどう思う?」と軽く投げて反応を観察するだけで、ユーザー調査に早変わりする。
こうして仕事と遊びの境界線が曖昧になっていく。それこそが企画の楽しさだ。
まとめ
営業から企画へ移った時の違和感は、今ではもう感じていない。むしろ、企画は「遊び心」が仕事として許される稀有な領域だと気づいた。日常の好奇心や違和感を企画に転換すること、それを数字で裏付けして形にすること。その過程そのものが楽しい。
営業経験を土台に持ち、新聞や本から得た知識を活かすことができる今のポジションは、もしかしたら天職に近いのかもしれない。そんなことを最近感じている。
おしまい
