一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

理想よりゲーム

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社会貢献とか、理念とか。

そういう崇高な理想を追いかけて仕事をする人を、世間はもてはやすことが多い。

正直に言えば、自分にとってそれはあまりピンとこなかった。

 

それよりも、自分は最近こう思う。

「隣の同僚より上手くプレゼンしたい」「あの人より高い評価を得たい」―そんな目の前の勝負が楽しい。

理想より、競争。理屈より、プレイ感覚。

そう割り切ると、近頃仕事が急におもしろくなった。不思議なものである。

 

前職ではこういう気持ちになれなかった。

理由のひとつとして、自社の名前にも、サービスにも、自信を持てなかったからだ。

だから、競争に本気になれなかった。

 

いまは違う。

会社も、扱うサービスも、胸を張って良いと言える。

だからこそ、勝ちたいと思える。負けたくないと思える。

 

また、最近ふと思うことがある。

受験勉強のときも、こんな気持ちだったなと。

周りのライバルたちと、張り合いながら勉強していたあの頃。

「勝ちたい」「追いつきたい」――その感情は純粋だった。

いまの仕事の感覚は、それに近い。

勝負の楽しさというものを、ようやく思い出してきた気がする。

 

理想が遠すぎると、努力は空回りする

崇高な理想は、確かに美しい。

ただ、それを日々の行動につなげるのは難しい。

「社会を良くしたい」と思っても、明日の会議で何を話すかまでは見えてこない。

 

理想が遠すぎると、努力は空回りする。

反対に、「この資料で勝つ」「この商談を取る」といった具体的なゴールのほうが、はるかに現実的だ。

小さな勝ち負けの中に快感があり、それが次の行動を生む。

 

元来、人間は短期報酬の生き物だ。

結果がすぐに返ってくると、モチベーションは自然と高まる。

「社会のために頑張ろう」と思っても、評価が10年後に返ってくるようでは続かない。

それよりも、「今週の会議で目立つ」「次の資料で刺す」といった短期的な競争の方が、よほどエネルギーになる。

 

競争を「ゲーム化」すると、努力が続く

最近は、仕事をRPGのゲームのように考えている。

会議での発言はバトル、資料作成はアイテム精製、上司との駆け引きはボス戦だ。

成果が出ない時期も、「今は経験値を貯めているフェーズ」と思えば、意外と苦にならない。

それに、ゲームは誰かと競うからこそ面白い。

 

勝負の中には、当然ストレスもある。

でも、それすらも含めてプレイの一部だと考えれば、意外と楽しい。

 

結果的に、それが貢献にもなる

皮肉なことに、このゲーム感覚の方が、結果的に会社や社会への貢献にもつながる。

数字を上げ、サービスを磨き、クライアントを満足させようとする――それはすべて、自分の勝負心の延長にある。

だが、成果が出れば、それは誰かの利益になり、会社全体の評価にもつながる。

つまり、「社会貢献を目指す人」より、「勝負を楽しむ人」の方が、結果的に社会を動かしているのだ。

 

理想を語る人は多い。

でも、現場を動かしているのは、目の前の戦いに夢中な人間たちだ。

本気で遊ぶ人間が、最終的に世界を変える。

それが仕事というゲームの面白いところだと思う。

 

理想はあとからついてくる

「理想を持て」と言う人は多い。

でも、理想なんて後からついてくるものでいい。

最初から社会全体を見渡そうとするより、目の前の自分の小さな勝負を楽しんだ方が、はるかに現実的で地に足がついている。

 

理想を掲げるより、目の前の戦いを楽しもう。

勝つこと、負けること、試行錯誤すること。

それらすべてをプレイとして受け入れたとき、仕事は義務から解放される。

 

それにしても、私の変わりようは数年前までとはエラい違いだ。きっとまたやる気のない時代がくるかもしれないから、今のうちにタップリと経験値を稼ごうと思う!

 

おしまい