少し前の東洋経済オンラインの記事。大変興味深く読んだ。
当初京都や小倉に投下される予定だった原爆が広島と長崎に投下されたのは、ある「偶然」のせいだったという信じがたい事実
というキャッチーなタイトルで、原爆投下という歴史上の重大な出来事が、個人の思い出や気象状況といった偶然によって左右された事実を綴っている。
この文章の教訓を一言で言うなら、
「歴史も人生も、私たちが思っている以上に“偶然”に支配されている」
というところだろうか。
原爆投下という人類史最大級の出来事ですら、
・20年前の一組の夫婦の観光旅行
・一人の政治家の個人的記憶
・当日の雲や煙、数分のタイミング
といった取るに足らない偶然の連鎖で、
「京都ではなく広島」「小倉ではなく長崎」という結果に変更された。
私たちは歴史をあとから
「戦略」「必然」「合理的判断」
で説明したがるが、実際には後付けの物語も多いのである。
かといって、この文書の「すべては偶然である」という事実から、決して「努力が無駄だ」という虚無主義に陥ってはいけないだろう。
努力は大切である。偶然の力を前提としても、なぜ努力が必要なのか。
まず、努力は「打席に立つ回数」を増やす行為である。
野球に例えるなら、ヒットを打てるかどうか(偶然の風や野手の位置)はコントロールできない。しかし、打席に立つための準備をし、実際にバットを振る回数を増やすことは努力でコントロールできる。
そうやって、選択肢を増やしていくとともに、偶然が当たった時に常に活かせる状況にしておくことが大切だ。
「努力するな」ではなく、「努力に幻想を持つな」ということだと思う。
・世界は不条理
・でも努力は無駄じゃない
・ただし結果を約束するものでもない
この前提を飲み込んだ人の努力は、しなやかで折れにくい。
結果が出ないことを「努力不足」と自分を責めすぎることもないし、かといって「どうせ運だから」と投げやりになることもない。できることはやる。でも、結果は天に任せる。この姿勢こそが、長期的に努力を続けられる秘訣だろう。
私たちにできるのは、偶然を味方につけるための準備を怠らず、影響を及ぼせる範囲で最善を尽くすこと。そして、結果がどうあれ、自分の努力を肯定すること。それが、偶然に支配される世界を生きる私たちの、もっとも賢明な態度なのかもしれない。
おしまい