
私の会社に、少し風変わりな役員がいる。 失礼ながら、普段は酒ばかり飲んでいる印象で、会社にもあまり顔を出さない。いわゆる「昭和のちょっと困ったおじさん」という風情の人物だ。
ところが、先日この役員と仕事で同行した際、私は自分の認識を根本から改めさせられることになった。
相手は一筋縄ではいかない中小企業の経営層。しかし、その役員が口を開くと、相手の顔つきが変わるのだ。魔法のように相手の懐に入り込み、本音を引き出していく。その「弁の立ち方」は、まさに圧巻であった。
帰りの移動中、その秘訣を聞いた私に、彼は優しく教えてくれた。「事前に相手のことを、徹底的に調べるだけだよ」
事前リサーチの「三種の神器」
彼が実践していたリサーチは、私の想像を遥かに超える執念深いものであった。
① 経営理念を「背景」まで解剖する
単にHPの文言を暗記するのではなく、「なぜこの理念を掲げたのか」という背景まで推察する。「今の業界の逆風下で、この理念を貫くのは並大抵のことではないですよね」という一言は、経営者にとって最大の承認になる。
② 「過去のニュース」から物語を掘り起こす
数年前の業界紙の記事、地元のニュース、あるいは創業時の苦労話。現在の成功を支えている「歴史」という物語をリサーチしておくことで、「今この瞬間」だけを見ている営業担当者とは一線を画す信頼を勝ち取っていた。
③ 「社長の趣味」を人間性の肯定に使う
趣味の情報は、単なる雑談のネタではない。相手がワインが好きなら、有名なワインセラーに行って実際に買ってみる。ワインの本を何冊か読んでいく。「自分という人間に興味を持ってくれた」という事実は、ビジネスライクな壁を一気に崩す。
理論と現場の融合:自己研鑽の先にあるもの
私は、仕事上の知識やスキルアップのためには、10万単位で専門書を買うことも厭わないタイプだ。MBA的なフレームワークや財務の知識こそが、ビジネスを前進させる最強の武器だと信じて研鑽を積んできた。
しかし、この現場の役員が放つ「生きた知恵」には、正直言って唸らされた。
当たり前のことだが、どれだけ高尚な理論で武装していても、相手が「こいつに話をしよう」と思える土壌がなければ、その理論は空振りする。徹底的なリサーチは、相手に対する「最大の敬意(コスト)」の証だ。この「泥臭い事前準備」こそが、私が学んできた戦略や仮説思考を具現化するための、最も鋭い「槍」になるのだと痛感した。
その役員から学んだ、一歩先の「営業のコツ」
役員の振る舞いと私の学びを照らし合わせると、さらにいくつかのコツが見えてきた。
調べた情報を披露するのではなく、「〇〇という理念から、現在は××という課題を感じていらっしゃるのではないですか?」と、仮説としてぶつけること。これが経営層に「こいつは話が早い」と思わせる秘訣だ。
「私がいいと思います」ではなく、「他社の経営者はこう動いています」「業界ではこう言われています」と、客観的な情報をエサとして提供し、孤独な経営者の視座を広げること。
弁が立つ人は、実は「黙る」のが上手い。良い質問を投げた後にあえて黙ることで、相手が本音を漏らす「間」を作っていた。
まとめ
今日挙げたものは、営業に関するビジネス書を読めば出てくる内容も確かに多い。だが、普段の不真面目な姿からは想像もつかない、圧倒的なプロの仕事を目の前で見ると学ぶものはとても多かった。「酒ばかり飲んでいるおっさん」の裏側にあったのは、誰よりも泥臭く相手に向き合う誠実さであった。
自己投資による「理論」の習得と、相手を知り尽くす「現場」の知恵。この両方が揃ったとき、ビジネスマンとしての価値は爆発的に高まるのだと感じた。
おしまい