一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

ショックなことがあった

最近、社内イントラの仕様が変更され、社員全員の所属・職位が簡単に検索できるようになった。

普段、こういうものには全く興味がないのだが、入社年次順でもソートができたため、同期入社が何人退職したかを確認しようと思い(笑)、軽い気持ちで検索をかけてみた。

さすが年功序列日系企業という感じで、入社15年選手が6割弱残っていた。辞めた4割の大多数は優秀な人材だった。年功序列だと、年次が進むにつれて既得権にあぐらをかくようになるので仕事をしなくなる一方、給料は自然と上がっていくので、そんなおっさんたちを見た優秀な若手は嫌になって辞めてしまうのだ。終わっている会社である。そして、終わっている社員の一人が私だ。

 

さて、今日ショックだったのは、僕の数少ない仲良しの同期(Eくんとしよう)に「休務」のマークが付いていたことだ。

このEくん、独身寮で隣の部屋だった。この寮がいわゆるベッドタウンと言われている割といい場所にあったので、今は土地を売ってしまいマンションが立っているのだが、当時は私の勤め先にも独身寮があった。

Eくんは、チャラチャラした感じはまったくなく、寡黙で野球観戦とジム通いが好きな青年。仕事を「楽しい」とも「ダルい」とも言わず、淡々と毎日を過ごすようマイペースな男なのだが、とにかく気遣いができる男、いや漢だった。

私が入社して間もない頃、上司・先輩による連日のパワハラで病んで会社に行けなくなりそうな時、朝食堂で声をかけてくれたり、食堂で会わなかった日はちゃんと私が仕事に行くかどうか部屋のドアをノックをして顔を見に来てくれるいいヤツだった。彼のおかげでなんとか最初の1年を乗り越えられたと言っても過言ではない。

 

あまり目立ちたがるタイプではなく、出世意欲も薄かった彼は、長いこと地方の営業所を転々とし、そこで楽しそうに仕事していた。実際、3年ほど前に一度だけ旅行がてら彼に会いに行ったことがあった。わざわざ駅の改札まで迎えに来てくれ、酒代は全額奢ってくれ、帰りの電車の乗換の注意点等まで細かく教えてくれた。彼の気遣いは変わらないな・・と感動した覚えがある。

その後、実績が評価されたのか、直近は本社の激務部門に異動となった話までは聞いていた。社内的には栄転なので私は嬉しかったのだが、その後は連絡を取り合うこともなかった。

 

そんな彼が休んでいる。

慌てて、今度は彼の所属の組織図を開いてみると、Eくんの名前が消えていた。

もう一度イントラ上の彼のレコードを見ると、最終更新日は2022/7/31。

Eくんは7月末に退職していたのだ。

 

彼に何があったのかはわからない。

ただ、キャリアアップ等ポジティブな転職であれば、少なくとも長期休務はしないだろう。

身体もしくは精神を壊してしまった可能性が高い。どちらでも、声をかけてやることはできたはずだ。

 

ああ、彼に礼の一言も言えなかった。

「あの時はありがとう」といつでも言えると思っていたが、結局言えないまま離れ離れになってしまった。

まあLINEは知っているんだが、今頃なんだと思われるだろう。

「俺はお前が辛い時に支えてやったけど、お前は何も気づいてくれなかった」と思われれていたかもしれないし、そもそも「お前とは仕事をやめる報告するほどの仲ではないよ」と思われていたのかもしれない。そもそも、連絡ができないくらい苦しんでいたのかもしれない。そのどれが真実であっても、今更連絡をすべきではないだろう。

人への感謝は先延ばしせず伝える。 これが教訓である。

 

そんな感じでメンブレしていた中、終戦の今日は戦争関係の記事が多く、読んでいて泣いてしまった・・

www3.nhk.or.jp

「お母さんが3歳くらいの男の子を置いてね。そしたらトンネルの入り口をママー!ママ-!って追いかけるんだよ。泣いて泣いてね。でも、お母さんは振り返らない。トンネルの中を走り抜けて行く。それを私は見てたの。毎日繰り返されるの、同じ事が」

 

www.nikkei.com

甲板に出ると、400~500人が傾く船の縁にしがみついていた。「飛び込め」の号令で海へ。「沈没する時にできる渦にのみ込まれないよう200メートル離れろ」との教えを思い出し、死にもの狂いで泳いだ。
巨大な瑞鶴が垂直に沈んでいくのが見えた。心臓に響く爆発が数回。木材につかまって漂流した。体温が奪われる。「母さん」と連呼しながら何人もが海中に消えた。「天皇陛下万歳と叫ぶ者なんていない。最期に思うのは肉親だった」

 

<本日の勉強時間>

・ながら学習・・約5時間

・テキスト読み込み・・1時間55分

仕事中に自作のオーディオブックにて長時間問題演習。

 

おしまい