一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

死ぬわけではないのだから

いよいよ新生活がスタートした。

 

大病をして死を身近に感じると、深くたしなめられた気持ちがして、それまで重大に思えたことが、そうではなかったと悟るようになるものだ。

 

これは、ノーベル文学賞受賞者で、国語の教科書でも必ず出てくる作家、川端康成が言った言葉だ。

今風に言うと『死ぬこと以外かすり傷』だろうか。

 

幸い、私は生きるか死ぬかの大病を患った経験はないのだが、一回だけ死の恐怖を間近に感じたことがある。

東北を中心に甚大な被害を出した2011年の東日本大震災の時だ。

あの日、私は都内の高層ビルの上の方の階で働いていた。

揺れた直後、バランスを崩しながら、机の下に滑り込み、グラングランと床が揺れるのを感じ「ああ、死ぬな。俺の人生なんだったんだ」と思ったことをたまに思い出す。

 

幸い、津波に襲われることもなく、ビルが倒壊することもなく、命は助かった。

それからしばらくの間は、命が助かっただけで神に感謝していたものだが、人間忘れやすい生き物なので、そんなことも時間が経つと忘れてしまうものだ。愚かなことである。

 

川端のいう「大病」は、遺伝的なものを除き、長年の不摂生や予兆の放置によるのもだと思うので、これは自己責任的な要素も幾分かあるはすだが、通り魔に殺されたり、不慮の事故に遭うといった類のことは、完全に運ゲーだ。

いずれも新聞やニュースに載るレベルの話だと思うので、遭遇率は天文学的に低いと思うが、そういったことで死ぬことを考えると非常に怖い。

そのことと比べると、ブラック上司に詰められたり、激務で少し睡眠が削られるくらい、明らかに気にするに値しないレベルの話である。

 

だから、何事もなく家に帰れて、明日も健康に過ごせるということ、この一点に感謝しようと思う。

だが、余裕が無くなってくるとこうしたことに思いを馳せること自体が難しくなる。

なので、普段から紙に書いて毎日眺めることにしよう。

転職を心からしてよかったと思えるよう、全力で生きていくことが自分の義務だ。

 

おしまい