一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

常識=正解ではないと初めて知ったエピソード

僕の高校時代の話を少々。

 

僕のざっくりした自己紹介はこの記事を参照してください。 

alonewolf-memorandum.hatenablog.com

 

さて、今日は高校時代の話をします。

高校時代まではごく一般的な高校生として過ごし、部活動と遊びに明け暮れていました。

当時の友人とは考え方などが合わなくなり、残念ながら疎遠になっていますが当時は仲がいい友人が何人かいました。

17時まで部活動に勤しみ、その後渋谷のセンター街で遊ぶ毎日でした。

 

高校入学早々からそんな生活を続けていたので、中学時代は軽く「神童」と言われていたものの、坂道を転がり落ちるよう成績は転落していきました。

高3の春になり、学年の統一テストなるものを受けたところ、学年300人250番という成績で、いわゆる中堅上位のMARCH(※)以上の大学にすら現役で入るのは不可能なレベルと言われていました。

※MARCH=明治大学青山学院大学立教大学中央大学・法政大学のそれぞれのアルファベット頭文字を取ったもの

 

7月に部活を引退し、直後に夏休みに入りました。

英単語帳すら触ったことない状況で本当に焦りましたが、ここからなんとか周りに逆転する戦略を考えます。

 

まず、現役合格にこだわりたかったので5教科7科目の国立は捨てることにしました。

本当は東大や一橋大学を目指したかったのですが、残りの期間を考えるとどう考えても難しそうでした。

 

3科目の私大文系に絞り、現役合格の戦略を立てることにしました。

 

英語は入試問題を見ると、長文読解問題が多く、英単語を覚えればなんとかなりそうだでした。

ついては、複数の英単語帳をひたすら暗記する作業を繰り返すことにしました。

 

国語は古文は同じく単語の暗記、現代文は得意だったので特に対策をしませんでした。

 

世界史は完全に暗記科目なので、実況中継という講義調のテキストで流れを掴んでから、山川の世界史用語集を丸暗記するレベルに高めることにしました。

 

夏休み、一日12時間は勉強したと思います。

非常にハードですが充実した夏休みでした。

 

8月末、夏休みが終わろうとしていました。

学校が始まります。

僕の場合、通学時間を含めると、7時半〜17時という、昼間の大半の時間を学校に取られることになります。

よって、当時の僕は、「ひたすら学校を休む」ことを考えました。


学校に行っても受験勉強はできませんからね。

移動する時間とかもったいないですし、ひたすら夏休み同様に家で勉強するのがもっとも効率がいいことは明確でした。

そんなわけで、最大限学校に行かず、家にひきこもることを決意しました。

 

一応これ以上授業を休んだら卒業できないっていうラインがありましたので、それは死守するようにしました。

先生に「あと何回休めますか?」とか聞いてましたw

当然怒られました。

「先生大丈夫ですよ。しっかり結果見せますから。そしたらしっかり高校の進学実績になるでしょ」とか生意気なこと言ってましたねw

 

結局高校で準備されたカリキュラムって灘高校とかそういう超進学校を除き無駄が多いというか大学受験に直結していないんですよね。

 

というわけで9月以降はほとんど家から出ずにひたすら受験勉強を続けました。

当然両親も「学校に行かなくていいのか」と最初は言ってきました。

そこで僕は両親に論理立てて説明しました。

いかに学校に行かず家で勉強することが効率的なのかと。

すると両親は「わかった。行かなくていい、好きなようにやれ」と言ってくれましたw

ほんとに両親には感謝してます。

信念があってやりたいことがあったら両親であったり、大人になったら配偶者をしっかり説得できないと始まらないと思うんです。

 

とはいっても、学校休んで家にこもって勉強するなんて周りは誰もやってないから当然心配になってくるんですよ。

本当は学校でみんなと勉強している方がよかったんじゃないかなあ・・・なんてw

 

その後、冬の河合塾の私大模試では全国100番以内に入りましたし(たしか50番代だったような)、志望校にしっかり合格しました。

 

結果、予備校にも行かなかったので、なんて親孝行な息子なんだと言ってもらえましたw

 

 

「常識=正解ではない」

当たり前のことですが、そのことに初めて気づいたのが大学受験を通じてでした。

学校に言われたとおりカリキュラムこなした人たちは志望校ほぼ全滅でしたよ。

かといって誰も責任はとってくれませんからね。

勉強不足だった、実力不足だったと言われておしまいです。

 

他人と違う行動を取ることは非常に勇気の必要なことでした。

しかし、この時後悔ないよう決断し、結果も出すことができたので、その当時の成功体験は未だに僕が行動する際、後押ししてくれるエピソードになっています。

 

 

おしまい