一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

大衆の意見に迎合しない勇気(と自己紹介)

人生の様々な局面において、楽をしたり、いい思いをしたければ、大衆の意見に迎合しないことが非常に大切である。

 

ちょっとだけ僕の個人的な話をしたい。

 

僕は昔から大の変わり者で、「みんなと一緒」がイヤな子どもだった。

キリスト教の幼稚園なんかに入れられたものだから、毎日礼拝があった。目を瞑って祈りのポーズを取らされる。神なんているかこんなのバカらしくてやってらんねーよ(※)、と思い、僕は一人目を開けてキョロキョロとしていた。

(※)キリスト教の否定ではなく、無神論者なのです

 

今となって思い返すと、僕は典型的なADHDの子どもだった。小学校時代は椅子に座っていることができなかった。ずっと何かをしゃべっていたし、順番が待てなかった。そして、あまりに授業が簡単すぎて退屈だった。周りのおバカな児童たちをみては、「なんでこいつらはこんなこともわからないんだ?」と毎日不思議に思っていた。テストは10分で終わってしまう。あまりに僕が落ち着きがないので、先生は僕に周りの生徒のテストの採点をさせた。大人になってから、一般知能のかなりの割合が遺伝によって決まるということを橘玲の著書を読んで知った。どおりで、がんばってもいっこうにできるようにならないやつがいるのと同時に、僕のようなやつもいるということが今になってわかった。人生は平等ではないのだ。ちなみに、今はADHDの気があるとすぐに病院送りになるらしい。怖い時代である。

 

中学校になると、DQNをはじめとしてワラワラと群れ始めるが、僕は孤独を貫いた(というか、友達ができなかったのだ)。母さんに「友達はいないのか」といつも言われたものだ。誰もが友達がいないと寂しいようだったが、僕はそんなことは一度も感じたことがなかった。勉強は相変わらずめちゃくちゃ得意で、常に学年トップ。スポーツテストもいつも3番以内に入っていたかな。実際にした記憶はほとんどないが、ケンカも強そうに見えたのか、いじめられるようなこともなく平和に過ごした。この頃から、明らかに「変わったやつ」と周囲から見られるようになった。

 

高校時代は都内でも有数の進学校に通った。一応部活動はやっていたものの、友達と付き合うのがかったるくて、一人で本ばかり読んでいた。部活の引退が決まったときは本当にホッとした。もうこれで、他人と協調せずに済む、と思った。勉強はさすがに中学までのように何もしなくてもできるほど甘くはなかった。高校3年の夏の時点では、相当ヤバイ成績だったが、秋以降学校にまったく行かないという力技を通して、無事合格を掴み取る。予備校にも行かなかったので、親孝行な息子だったと思う。

大学受験の思い出:常識=正解ではないと初めて知ったエピソード

 

大学時代は、いよいよ本ばかり読んでいた。早々にサークルは退会(除名だが)。その時のトラブルは以前記事にしたとおり(笑)。大学の素晴らしいところは、嫌いな人間とは一切関わらなくてよいところ。大学3年の終わりまではひたすら引きこもって過ごす。んで、重い腰を上げてテキトーに就職活動を始める。ゼミの先輩のエントリーシートをコピペして10数社に出し、まったく面接の準備もせずに臨んだ僕に内定をくれた阿呆な日系大企業(現職)に就職(笑)。就活の期間はわずか一ヶ月足らずである。「僕を採用するような見る目のない会社には入社したくない」というパラドックスを強く感じたものである。

サークルを除名された話:僕は友達が少ない

 

社会人になると、突然鬱になったり、急にナンパを始めたりしながら今に至る。まったく自慢するわけではないが経験人数は数百人である(使ったお金も数百万だが・・)。付き合いのゴルフは決してやらなかったし、これからもやらない。家も車も買わないし、今のところ家族が増える予定もない。早々に出世を諦めたので、これからは自由な人生を謳歌していく。年収は約1,000万だ。残念ながらこれ以上の昇給は見込めないが、減る見込みも今のところはない。日本で生きていくのであれば十分な水準だろう。

 

さて、ここからが本題。

こんな生き方をしてきたもんだから、幼稚園時代から今に至るまで、様々なところで後ろ指をさされてきた。「どうしてお前は皆と違うことをするのか」と。ただ、周りと同じ生き方をひたすらに否定してきたからこそ、今がある。そして、その「周り」はどうかといえば、金と女と健康という男の幸福三要素を自分ほど満たしていきている男子をほとんど見たことがないのだ。

豊かな人生を送るカギは一つだけ、「大衆の意見に迎合しない勇気」なのである。

 

大きな成功を得るには「まとも」じゃないこと

世の中の人とは逆の発想をしなくてはならない

わかりやすくいえば全員が右向いたときは左を向け!ということ

(byエンゼルバンク

 

 

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おしまい