一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

一匹狼家の子育て論を思い出した

以前書評にも書いた本だが、ホリエモンの著書『捨て本』を読み返していた。

alonewolf-memorandum.hatenablog.com

 

この本の中では、ホリエモンの子育てに対する持論が述べられている。

父親の役目は「子どもが自立するまで充分な教育を受けられ、金銭的に困らない豊かな生活を守る」こと(「子ども」より)

 

思い返せば、一匹狼家はこれを地で行っていた。

父親はアスペルガーの傾向が強く(その影響もあってか僕も完全にADHD)、友達は一人もおらず、仕事以外の時間はいつも一人でいた。父が誰かと一緒にいたことを見たことがないし、母親とすら一緒に出かけた姿を見た記憶がほとんどない。今思うと、彼の背中を見てきたから、「友達がいない=哀れ」という世間的な感覚を植え付けられずに育つことができたのは良かったと思う。

 

一方、かつては今以上に学歴社会だったから、超有名大学卒の父(勉強はめちゃくちゃできた)は学生からの人気も高い某有名企業に就職し、定年まで勤め上げた。出世はあまりできなかったみたいだけど、給料はとんでもなくよかったから、おかげさまで僕は欲しいものは何でも手に入る子ども時代を送ることができた。

 

当時はワーク・ライフ・バランスなんて言葉はもちろんなかった。仕事自体が激務ということもあり、父親に遊んでもらった経験は皆無である。唯一記憶にあるのが、誰かの葬式に行った時に、式場の近くの公園で滑り台で遊んでもらった思い出だ。そんなことが鮮明に記憶に刻まれるくらい、僕は父と遊んだ記憶が欠落しているのだ。「教育はお前(母のこと)の仕事」これが彼の口癖だった。専業主婦の母もそれが当たり前だと思っていた。

 

そんな一匹狼家の教育方針はこうだった。

 

・法律を守ること

・障害者・高齢者などの弱者を大切にすること

・あとは放置

 

守るべきは上の2点だけである。

逆に、この2点さえ守られていれば叱られることはほとんどなかった。

 

小学校の時にケンカをして相手を殴ってケガさせてしまったときも、父は相手の親の前では謝っていたが、学校での呼び出しの帰り道に、

「殴るなら腹にしなきゃだめだろ」

とだけ言い、マクドナルドでハンバーガーとポテトを二人で食べて帰った。

 

高校時代に夜中に原宿で徘徊していて警察に補導された時も、

「バカバカしいから次からは私服でウロウロしろよ。俺は眠いから寝るぞ」

とだけ言って寝てしまった。

 

一方、小学校低学年の時に特別学級にいるダウン症の子をからかってしまったのがバレた時、家に帰ると、仕事に行っているはずの父が玄関で仁王立ちして待っていた。鬼の形相の父は僕の胸ぐらを掴み上げ、僕をフローリングに何度も叩きつけた。言い訳の暇さえ与えてくれなかったのだ。僕は身を持って人としてやってはいけないことを学んだ。

 

こんな父だから、当然、他の家の子どもになんて一切接触しようとしなかった。土日に家に友達を呼ぶなと厳しく言われていた。

当時は、優しくてコミュ力のある友達の父親が羨ましく見えたりもしたが、今でこそ、一匹狼家の教育方針も悪くなかったなと思えるようになった。

子どもはかくあるべきというような価値観の押し付けがなかったので、この歳まで自由に生きることができたのかもしれない。

こう見えて実は僕も子育てには興味があるのだ。いずれ子どもを持った時には、両親が僕を育ててくれたように育てたいと思った今日この頃である。

 

 

おしまい