みなさん少年時代は部活をやっていただろうか。
部活に費やす時間はけっこう膨大である。
週5回(平日2時間・土日5時間)で換算すると、単純計算で年間500時間強になる。
今これだけの時間があれば、やりたいことすべてに取り組めるだろう。
僕は某運動部に所属していたのだけど、どうしてもレギュラーになれなかった。
負けん気は人一倍強かったので、誰よりも練習して、休日も河川敷を走ったり、親にお願いしてスポーツジムに入れてもらったり、本を読んでメンタルトレーニングなるものもやった。
でも、箸にも棒にも引っかからない感じだった。スポーツ有名校ならまだしも、ごくフツーの中学である。今思い出してもかなり悲惨である。
全国優勝クラスの人のスポーツ偏差値が75だとしたら、おそらく自分は55くらいだったと思う。
当時からなんとなく気づいていた(でも認めたくなかった)が、スポーツはとりわけ努力<遺伝の要素が強いものなのだと思う。
普通の中学の部活でレギュラーになれないようじゃ、スポーツなんて続けても意味がないと思い、ある時から勉強にフルコミットすることにした。
これが、大正解だった。
数ヶ月の勉強で高校入試の模試では全国トップクラス(それこそ偏差値75レベル)になり、志望校にもラクラク合格できた。
「勉強」という自分に向いていることを見つけることができたのだ。
高校野球の例で考えたらわかるが、全国4000校のうち優勝できるのは1校のみである。
その他の3999校はどこかで負ける。
結局、部活というものは「負け方を学ぶ場所」と言ってもいいのかもしれない。
そして、改めて自分の得意なことを探す。それは、部活で全国1位になるより、はるかにたやすいはずだ。
そう考えれば、部活という一見無意味な活動を意味あるものに変えることができるのではないだろうか。
部活は「時の変遷とともに価値が失われていくので無駄」という考え方がある。
それは正しくもあり、間違っているとも思う。
プロスポーツ選手にならない限り、投下した時間を直接回収することができない。
必死で身につけた技能や筋力も年齢とともに衰え、それはサラリーマンの仕事にはほとんど役に立たない。
僕だって、部活という回り道をせずに、最初から勉強していたらもっといい高校・大学に進学できたかもしれない。
でも、負けた悔しさを知らなかったら、現状に満足してしまって、努力ができなかったかもしれない(結果Fラン大に進学して、路頭に迷ったかもしれない)。
こればかりはわからない。
スラムダンクのラストシーンで山王が湘北に負けた時、監督がこう言った。
「負けたことがある」というのがいつか大きな財産になる。
この言葉は正しいと思う。
©井上雄彦
おしまい