少し前の日経の記事に、電車でスマホをいじる人を非難する記事があった。
7人掛けの座席に座る乗客が並んでスマホに没頭する姿を「養鶏場の鶏」とまで言ってくれている。
まあ、大体こういうデジタル化の流れに批判的なのは、老害か変化を嫌う情弱・貧乏人のどちらかと相場が決まっていて、この人もやっぱり逢坂剛氏という78歳の作家。誰や。
まあ、スマホが便利すぎるので車内で使うのは当たり前なのだが、客観的に見て7人全員がスマホを凝視している姿を見て「気持ち悪い」と思ったことがないわけではない(普段は自分がその景色の一部なのだが)。
思えば、スマホが本格的に流行り始める前の2010年頃までは、当たり前に電車内では本や新聞を読んでいる人がいて、特に学生や若いサラリーマンが活字の本を読んでいるのをみると、この人は知識人だなと思ったものだ。
ワタクシは2011年頃にスマホデビューした後も2015年頃までは本を持ち歩いて読んでいた。当時はネットニュースも見ていなかったし、Kindleも入れてなかったので、スキマ時間を潰すツールはもっぱら本であった。
一度だけ、同じ部の「マドンナ」と言われていた後輩に、
今朝、一匹狼さん電車で本読んでましたよね?
めっちゃカッコいいなって思いました!
と声をかけられたことがある。電車で文庫本を黙々と読んでいるワタクシの姿が知的に映ったのだとか。
何読んでたんですか?
と聞かれたので、
三島由紀夫の『春の雪」だよ。
読んだことある?
ととっさに答えた。
実際は『キミでもヤれるナンパの本』という低俗な本を読んでいたのだが(笑)
もちろんカバーをしてたし、よほど神妙な顔で読んでいたのか、格好はついていたようだ。
ほぼ100%スマホをいじっているこんなご時世だからこそ、電車内で本を広げる読書男子となるのはいいかもしれない。
まあ、電車で目の前の席に座っている女子と恋に落ちる可能性などほとんどゼロに近いので、自己満の問題なのだが、セルフイメージって意外と大事なのよね。
かつて電車で本や新聞を読んでいた層は、今でもスマホで電子書籍やネットニュースを見ているのだろうが、スマホでゲームをやったり動画見ている人々と見分けがつかなくなってしまったので、何だか悔しいなあと思う今日この頃である。
おしまい