一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

日記で自分を取り戻す(私の日記論②)

毎日つけている日記はどのように読み返していけばいいだろうか?

 

日記を読み返すことのメリットの一つは、覚えておきたいことの記憶を定着させることである。これは想像しやすい利点だと思う。

それは、ニュースで目にした新しいキーワードかもしれないし、最近読んだ書籍で参考になった一節かもしれないし、一緒に飲んだ先輩がふと発した何気ない一言かもしれないし、英会話のレッスンで講師に発音が悪いと指摘されたフレーズかもしれない。

こうしたことを日記に一元化して記録し、定期的に読み返すことは、驚くほど記憶の定着にプラスとなる。

 

ただ、日記を読み返すメリットは、記憶の定着といういかにもな役割にとどまらない。

日記を読むことで、本当の自分をブレることなく取り戻すことができる。これが日記の真髄である。

われわれは、無意識のうちに周囲の人間の言葉に絶えず影響されている。

褒められたり貶されたりという直接的なものから、会社の愚痴や同僚の悪口などの間接的なものまで、実にさまざまなことを周りから言われて過ごしている。

古くから「言霊」などとも言われているが、自分でも気がつかないうちに、そうした言葉が自分の心に影響を与えていく。一緒にいる時間が長い人の発する言葉ほど注意が必要である。誰だって幼い頃に親や教師から言われた言葉に少なからず影響を受けていたことを考えれば納得できるはずだ。

 

だが、日記を書き、それを読み返すことを習慣にしていると、そういうものに揺さぶられるリスクを極限まで減らすことができる。

日記の至るところに散りばめられた「自分の思い」を定期的に確認できるので、他人から洗脳されることを防ぐことができるのである。

時には勘違いするほど褒められて有頂天になる日もあるだろうし、上司に理不尽な詰めを喰らって自殺したくなるほど悔しい思いをする日もあろう。だが、家に戻り日記を眺めるとと、そこには今日まで積み上げてきた等身大の生活の記録が書かれているだけだ。「ああ・・明日も昨日までと同様、淡々と頑張ろう」と思えるのである。これほどよい抑止力となるツールはない。

「周りが何と言ってこようと、自分は自分でしかない」。そう思えるために、ただひたすら日記をつけて読み返していく。そうして等身大の自分を見失わずにキープし続けることが、後悔のない人生を送るために必須だと思うのである。

 

 

おしまい