一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

常に善人であること

私は常に善人でいられるように努力を続けている。

決して聖人君子ではないので、自分に石を投げてくる奴には全力で反撃するし、時には人を傷つけてしまうこともある。

それでも、心穏やかに生きていくために、可能な限り良い人でありたいと思っているのだ。

道半ばではあるが、私が目指す善人像は大きく分けて以下の3つだ。

 

口が堅いこと

相手から「ここだけの話」と言われたらもちろん、自分を信頼して会社の機密情報を教えてくれたり、プライベートの相談をもちかけてくれた相手を裏切ってはならない。それらは秘密にしておく道義的な義務があると思う。

飲み会になると、すぐにそうした情報を暴露して場を盛り上げようとする輩がいる。そうした麻薬的快楽の代償は必ず受けることになる。

 

他人の悪口を言わない

人間だからゼロにするのはなかなか難しい。でも、他人の悪口(愚痴や不満を含む)を言うことで、人間性を評価されることはない。誰かの悪口を言っているのを聞いた上司や同僚は、自分も陰口を叩かれていると間違いなく思うはずだ。誰かについて良いことを言えないのなら、何も言わないのが無難ということだ。

ただ、他人に同じことを求めることは精神衛生的によろしくない。他人はコントロールできないものである。確実に「自分はどこかで悪口を言われている」と予め承知した上で開き直って過ごそう。いちいちそんなこと気にしていたら生きていけない。

 

誰に対しても親切にする

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という有名な言葉もある。トイレ掃除のおばさんや手際の悪い居酒屋のアルバイト店員にも礼儀正しく親切に接する。人間は尊大になるより、謙虚になった分だけ目立つものである。

他人にそうやって親切に接していると、職場で仕事が上手く進むということももちろんあるが、単純に人として「気持ちいい」と思える回数が増える。

 

こうやって善人でいることのデメリットは、会社の出世に影響が出るケースがあるということだ。社内政治・権謀術数が上手いやつほど出世することが多いという企業はまだ多いだろう。

ただ、他人の秘密をペラペラ話して、他人の悪口は言い放題、格下だと思う相手に尊大に接するような人生が果たして幸せと言えるか? ということはよく考えた方がいいと思う。

 

おしまい