今日もD・カーネギー『道は開ける』を勝手に復習するシリーズ。
今日からPART6「批判を気にしない方法」に突入。
日本人は特に他人の批判を気にしすぎる傾向がある。
僕は、誰になんと言われようと一切気にならないメンタルを作り上げることができたのだが、この『道は開ける』にはかなりお世話になった。
加えて、ホリエモン本を数冊読んで、常に女の尻を追っかけていれば、そう簡単に崩れないメンタルができていくだろう(笑)。
さて、本節1章目のタイトルは「死んだ犬を蹴飛ばす者はいない」。
これは、死んだ犬(=重要でない人)を蹴飛ばす(=非難する)者はいないという意味である。
もちろん、ここでいう犬とは、あなたの飼っているかわいい飼い犬のことではない。
そこらの道端で野垂れ死んでいる野良犬を想像してもらえればいいだろう。
カーネギーはこう言っている。
蹴飛ばされたり、非難されたりした時、相手はそれによって優越感を味わおうとしている場合が少なくないことを覚えておこう。それはしばしば、あなたが何かの業績を上げており、他人から注目されていることを意味している。
自分よりもはるかに偉い誰かを非難することで意地の悪い満足感を求める。
『読書について』など、日本語訳されている著作も多くある、ドイツの哲学者ショーペンハウエルもこう言っている。
「低俗な人々は偉人の欠点や愚行に非常な喜びを感じる」
これらのことは、ツイッターなどのSNSで芸能人・政治家の不倫問題や不祥事を執拗なまでに批判する人々を見ているとよくわかる。
彼らは本当に終わってる人種である。そんなことしてもお前らの人生変わらないよ、と言って教えてあげたいのだが、彼らの人生がどうなろうと僕には関係ないので放っておいている。
本章では、トマス・ジェファソン(第3代米国大統領で「アメリカ独立宣言」の起草者)が大統領に立候補した際に、当時のエール大学の学長から「妻や娘が公認売春制度の犠牲者になる」とまでひどく弾劾された話や、ジョージ・ワシントン(初代米国大統領)が「人殺しより多少ましな男」と罵倒された話などが引用されている。
ともかく、批判されたり、悪口・陰口を言われるということは自分が注目されていると思って、口笛でも吹いていればいいのである。
悪目立ちしてしまっている人もお気になさらず(僕もたいてい悪目立ちである)。
「悪名は無名に勝る」ということわざもあるくらいなので、誰の話題にも上がらない空気のような人間になるより、悪口を言われるほうがよっぽどましだ。
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不当な非難に悩みそうになった時のための第一の鉄則を示そう。
◉不当な非難は、しばしば擬装された賛辞であることを忘れてはならない。死んだ犬を蹴飛ばすものはいないことを思い出そう。
おしまい