一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

恋愛プレーヤーとしての終わりについて

最近、ふと恋愛プレーヤーとしてのキャリアの終わりについて考えることがある。

やめたい時にやめればいいではないか、とナンパしたことがない人や、アプリを使ったことがない人は思うかもしれない。

 

しかし、問題はそんな簡単ではない。

一度始めてしまった女遊びは簡単にはやめられないのだ。

 

自分の場合、女遊びをライフスタイルの中に完全に組み込んでしまっている。

しかも「女修行」などと肯定的なワードを使って表現・認識し、それが生活に占める割合も相当大きい。

何かしらの理由によって女遊びをやめる、もしくはやめることを余儀なくされたとしたら、それは僕のライフスタイルが根底から変わることを示しており、もはやそれは僕のそれではないだろう。

 

詳しくは初期の記事にまとめているが、今思い出してもナンパを始める前の自分のライフスタイルは悲惨なものであった。

必要に迫られる形でナンパを始め、運良くある程度の成功体験を重ねることができ、自分に自信を持つことができた。

女修行に挫折していたら、20代以降の僕、今の僕はいないはずだ。

そんな僕が、ライフスタイルから「女遊び」という要素を抜き取り、そんな生活に満足することが果たしてできるであろうか?

今の僕にはとても「YES」と言える自信はない。

「女遊び」をやめるというのはそれほどまでに難しい。

 

だいたいの世の中の恋愛プレーヤーたちは、「結婚」または「老化」によりそのキャリアを終えるのだろうと思う。

「結婚」というポジティブな引き際であればいいのだが、「老化」によって引退を余儀なくされることもあるだろう。

この「老化」による引退の道は悲惨である。

主に外見の衰えにより、恋愛市場で女に徐々に相手にされなくなり、モチベーションが下がり引退せざるを得なくなる、そんな状況だ。

気づいたら誰からも相手にされなくなっていたという恐怖。

当然、同世代の男たちの多くは、結婚して子供を作り、幸せそうに暮らしている。

女を取っ替え引っ替え楽しんでいた自分は、気づけばハゲかかった中年で、奥さんはおろか将来を約束できそうな彼女すらいない。

 

自分も最近になって、そんな風に女遊びの終わりを、そしてその後の人生を考える機会が少しずつ増えてきた。

焦る必要はないが、恋愛プレーヤーとして、「結婚」や「老化」以外の第三の身の処し方は何か、ということについて考えを巡らせていきたい。

 

 

おしまい