大リーガーのイチローが引退してしまった。
彼は僕のヒーローだった、いつも。
画像:アスレチックス戦の1回、右翼の守備に就き、ファンの声援に応えるマリナーズのイチロー外野手(21日、東京ドーム)=共同
小学校・中学校時代はオリックスのスター選手。
同世代の男子ならわかるだろうが、当時友人とよくプレーした初代プレステのパワプロ(実況パワフルプロ野球)では、もう少しで能力がオールAの最強選手だった記憶が鮮明に残っている。
高校の時に海を渡り大リーグへ。
そこでの前評判を遥かに超える大活躍は誰もが知っているとおりである。
そして、ちょうど僕の大学受験から社会人序盤までの時期と、彼のマリナーズ(1回目)での大活躍の時代が被っていて、彼の出場した試合のダイジェストを見るたびに、自分も頑張らなければならないという気持ちになった。
若かりし頃、辛い時に何度も読み返した本がある。
このブログでも何度も紹介しているが、彼がメジャーデビューしてから4年間に発したメッセージが厳選された『イチロー 262のメッセージ』だ。
彼は天才と言われるが、そんな彼ほど努力ができる人間はいないというのが伝わってくる。
イチローがこんなにもストイックに努力しているのに、凡人の自分が努力しないわけにいかないと自分に常に言い聞かせた。
彼は努力の天才なのである。
イチローは努力について、こんな言葉を残している。
夢をつかむことというのは、一気にはできません。小さなことを積み重ねることで、いつの日にか、信じられなような力を出せるようになっています。
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実際、イチローは高校時代、甲子園には行ったものの、特に大活躍も優勝もしていない。
当時のドラフトでも強豪とはいえないオリックスの4位指名で、全体でいえば40番目ぐらいの評価ということだ。
イチロー自身も、同期のドラフト1位選手の体格を見て「これがプロとしてやっていく体か」とショックを受けたという話を聞いたことがある。
そこから努力で今の場所まで登りつめたのだ。
対照的に産まれながらの天才といえば、長嶋茂雄のような、「球がこうスッと来るだろ」「そこをグゥーッと構えて腰をガッとする」「あとはバッといってガーンと打つんだ」など、イメージでこなせる人だと思う。
イチローの華麗な経歴をまとめると、以下のとおり。
<チーム遍歴>
1992-2000 オリックス・ブルーウェーブ
2001-2012.07 シアトル・マリナーズ
2012.07-2014 ニューヨーク・ヤンキース
2015-2017 マイアミ・マーリンズ
2018-2019.03 シアトル・マリナーズ
<主なタイトル(日本)>
最優秀選手 1994、1995、1996
首位打者 1994、1995、1996、1997、1998、1999、2000
打点王 1995
盗塁王 1995
最多安打 1994、1995、1996、1997、1998
最高出塁率 1994、1995、1996、1999、2000
ベストナイン 1994、1995、1996、1997、1998、1999、2000
ゴールデングラブ賞 1994、1995、1996、1997、1998、1999、2000
正力賞 1994、1995
<主なタイトル(メジャー)>
新人王 2001
最優秀選手 2001
首位打者 2001、2004
盗塁王 2001
最多安打 2001、2004、2006、2007、2008、2009、2010
シルバースラッガー賞 2001、2007、2009
ゴールドグラブ賞 2001、2002、2003、2004、2005、2006、2007、2008、2009、2010
こうやってデータにすると、改めて日米の野球界に超人的な結果を残してきたことがわかる。
彼の引退会見を見て、一つの時代が終わったことを感じざるを得なかった。
引退会見のノーカット映像はコチラ。
また、僕がブログ・ツイッターをフォローしているヒデヨシさんが文字起こしをされているので、文字で読みたい方のために貼っておきたいと思う。
正直、イチローはカズ同様いつまでも現役を貫くと信じていた。
そんな中での今回の引退なので、今は喪失感で胸がいっぱいだけど、これからは今まで以上にメディアで見かける機会が増えたら嬉しい。
イチロー選手、28年間お疲れさまでした!
おしまい