一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

既存さんの尊さは何事にも変えがたいという話

昨日はお花見がてら既存さん(飲料メーカーOL)とデート。

実に一ヶ月ぶりのアポである。

 

彼女は某ターミナル駅から数駅離れた住宅街に住んでおり、花見後にスーパーに寄り、酒と食材を買って帰ってマッタリ宅飲みという予定になっていた。

 

 

改札に着くと、

久しぶり〜会いたかった〜!

と僕に飛びついてくる。

 

駅近くの公園で歩きながら桜を見て二人で春を感じる。

まだ少し肌寒かったので、ブルーシートに腰を下ろし、ゆっくり眺めるようなことはできなかった。

 

公園を出て、スーパーまでの道すがら、彼女から「最近会社でこんなことあったんだよ〜」とかそういった話を聞く。

 

思えば、こんな風にゆっくりとした時間を過ごすのは久しぶりだった。

普段、平日の夜はジムか女の子とのアポで予定が埋まり、週末も日中はジムに行きつつ溜まった家事をこなし、夜は基本的に飲みアポが入る。

 

 

最近疲れすぎていた。

女子の新規開拓は気力も体力も財布も疲弊させる。

たまには休みたいのだが、アプリで女子とマッチングするたびにそれの対応をしないわけにはいかず、時間というものがほとんどない。

 

ノルウェイの森』で永沢さんが言っていた言葉のとおりだ。

ほら、ドストエフスキーが賭博について書いたものがあったろう? あれと同じだよ。つまりさ、可能性がまわりに充ちているときに、それをやりすごして通りすぎるというのは大変にむずかしいことなんだ。それ、わかるか?

 

そうだ。

女子とセック◯ができるかもしれないのに、その可能性を放棄するのは大変難しい。

男というのはそういう生き物なのだ。

 

 

地元のスーパーで買い物をする。

缶ビール・チューハイを6本と鍋の具材や惣菜を買っても、2500円。

宅飲みは破格だ。

「料理を作ってもらうんだからお金くらい出す」と僕が言うのも彼女は聞かない。

結局レジで1,000円受け取る。

 

 

彼女が台所で食材を準備している。

僕はそんな中、先に飲んでいてと言われたビールを飲みながら、彼女の映画コレクションのうちの一つを見る。

 

 

食事の準備ができたようだ。

鍋を温めつつ映画を一緒に見る。

このシーン好きなんだとか、当時こんなものも流行ったよねとかそんな他愛もない話を聞く。

 

 

鍋を食べ終わると彼女が抱きついてきた。

映画の中でもちょうどラブシーンであった。

 

 

映画を止め、電気を消し彼女と交わる。

ほどなく射精して眠る。

 

 

こういう素晴らしい女の子をキープするにはどうすればいいかと言うと、結局のところトライアンドエラーをし続け、顔がタイプで・価値観が自分と合致し・セック◯が好きな女の子を掘り当てるしかない。

 

僕の今までの体感でも、この条件をすべて満たすのは20アポに1人くらいだろうか、そもそもアポに至るのが5人に1人とすれば、結局100人に1人の確率ということになる。

 

結局、「常に複数の女性を追いかける」「いつも自分から行動を起こす」「常に出会いのチャンスを窺う」という、いつもの話に収斂するのだが、こうして尽くしてくれる既存さんの尊さを改めて感じ、温かい気分になったので記事にした次第である。

 

それでも、僕は長く付き合っている本彼女が一番好きだし、新規開拓もしたい。

女子と真面目な男子の読者はほとんどいないという前提でいつも記事を書いているのだけれど、そうお目にかかれないレベルのクズな人生を僕は送っていることはたしかだ。

いろんな女子を相手にすることで余裕が生まれ全員に優しくできる、と自分に言い訳するものの、今日はなんだか珍しく罪悪感を感じてしまった。

 

とりとめもない話であるが、ゴミクズ一匹狼もたまにはこうやって悩ましい思いをする日もあるのだ。

(そして翌日にはいつも忘れている)

 

 

 

ノルウェイの森 (講談社文庫)

 

 

おしまい