最近、日記を書き始めた。
きっかけは、ツイッターをフォローし、Voicyも拝聴し、ブログも拝読しているサウザー氏が、繰り返し「日記を書くことの素晴らしさ」について語っていることで興味を持ったからである。
「日記なんて書いても意味がない」
と思う人はきっと多いだろう。
事実、僕も最近まで日記をバカにしていた人間の一人である。
日記と聞くと、大半の大人は、小学校の夏休みに無理やり書かされた記憶が蘇ってくるのではないだろうか(絵日記というやつだ)。
夏休み前半には開くことすらなく、遊び呆けた8月末になって、慌てて書き始める。縛って捨てる寸前の新聞紙の束から過ぎし日の天気を調べ、何をしたか覚えている日から適当に事実を並べ、「~だと思いました。」で締める。これが1日分だったらいいのだが、10日も20日も書いているうちに気が狂いそうになってくる。そして、やっとのことで8月31日まで書き終わる頃には、日記というものが大嫌いになっているのだ。
だが、当時と決定的に違っていることは、僕たちは大人になり物事を深く考えられるようになったということである。
小学生の頃は「~だと思いました」「~できてよかったです」が関の山だったろうが、大人になった今なら「○○してしまったが、本当は□□すべきだったかもしれない」「△△と決めていたのに、今日は××してしまったな・・。原因は・・」など深く自分と向き合うことで、いろいろな課題や問題点に気がつき、解決策を考え、日々実践し振り返ることができる。
薄っぺらい人間のままでいたくない
そう思っている人は、ぜひ日記書きの習慣を身につけることをオススメする。
ブログを毎日書くことを続けている僕にとって、日常を振り返って感じたことを綴るという行為では、ブログも似たようなものではあるが、サウザー氏の聖帝日記にも書いてあったとおり、日記は他人に見せないものだからこそ、自分の心の深い部分にアクセスし、自分の正直な願望・怒り・悩みなどを記すことができるのである。
ブログで書くとなると、そのまま書けないことや書くべきでないこともたくさんあるし、見栄を貼ったりカッコつけたりするせいで本音がベールに包まれてしまう。
1日10分(サウザー氏は30分を推奨)、しかも飲み会の日は酔って自分と向き合うことが困難ということで割愛してしまうことも多いが、しっかりと机に向かって内省する機会を日常の中で作るということは人生を有意義なものにしていく上で非常に大事なことだと実感している。
僕の日記の書き方や感じている効果などはまた後日記事にしたいと思う。
おしまい