今日、たまたま仕事の都合で昔住んでいた街の近くに行く機会があった。
非モテ全盛期の20代前半に、会社の独身寮を飛び出し、都心の小さなワンルームマンションで暮らし始めた。『もう合コンに行くな』を読んで、都心に近ければ近いほどモテるチャンスが広がっていることがわかったからだ。なんとも単純である。
少し時間があったので、その街まで歩いて行ってみることにした。
街は僕が住んでいた10数年前とほとんど変わっていなかった。
よく使ったスーパー・牛丼屋・クリーニング屋などは健在だった。
息子のひとり暮らしを心配して様子を見に来てくれた母親と食べに行ったラーメン屋も相変わらず営業していた。
一方、見たことのないマンションやビジネスホテルもいくつか建っていた。
そこにかつて何が建っていたのかどうしても思い出せない。街が生まれ変わるのはごく当たり前のことだが、なんとも言えない漠然としたショックを受けた。僕たちの人生の記憶は街と強く結びついているのだ。
貴方は『東京』というミスチルの隠れた名曲をご存知だろうか。
街を歩きながら、僕は知らないうちにこの曲を口ずさんでいた。
思い出がいっぱい詰まった景色だって
また 破壊されるから
出来るだけ執着しないようにしてる
それでも匂いと共に記憶してる
遺伝子に刻み込まれてく
この胸に大切な場所がある
思い出がいっぱいのこの街の景色も破壊されて当然なのだ。もうあの頃には戻れないし、これからの人生を楽しく生きていくしかない。
思えば、新生活を始めた頃の僕は、金なし女なしの一見悲惨な生活だったが、希望に溢れていた。仕事も恋愛も日に日に成長するのを感じていた時期だったからだ。
ナンパ用語でいう「即」を初めて決めたのもこの家だったし、彼女とコンビニで安い酒とつまみを買って手をつなぎながら歩いて帰ったのもこの家だった。
時の流れは早いものである。
昔を懐かしんでいるうちに住んでいたワンルームマンションに到着した。
マンションは昔のままだった。
後ろからきた若いカップルが手をつないでそのマンションに入って行った。
今はこのワンルームマンションの数倍新しくて広い家に住んでいるけど、あの頃のような満たされた気分にはならない。
僕は、ふと、喜多川泰氏の『上京物語』の一節を思い出した。
本当の安定というのは、自分の力で変えられることを、変えようと努力しているときに得られる心の状態のことをいうんだ。
最近、サラリーマンの本業が忙しく、上から出世競争を強く煽られているせいか、気持ちにまったく余裕がなかった。
心の安定はあくまで「状態」にすぎない。これから長い人生の中で、会社が傾いたり、給料が減ったり、降格させられる憂き目に遭遇する可能性もある。むしろ、これからの時代はそれが当たり前になるかもしれない。
ひとり暮らしを始めたあの頃のように、自分の力で変えられるものを変えようと努力している時に、心の安定は得られるのだろう。
たまに、こうやってふらっと寄り道することは、自分と向き合ういいキッカケになることがわかった。
皆さんも人生に閉塞感を感じているのなら、昔住んだ街や訪れた思い出の場所などを巡ってみてはいかがだろうか。
おしまい