一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

誤りを認める潔さ

定期的の書いている『人を動かす』抜粋シリーズであるが、前回は相手の誤りを指摘しないことの重要さを述べた。

一方、自分の誤りは潔く認めてしまった方がいい。

 

以前、勤務先の本社の部長からあるお願いをされたことがあった。それは、僕の担当している取引先から必要な書類を取り付けて送るという割と重要な依頼であった。仕事の着手が早い僕は、すぐさま取引先を訪問し必要な書類を取り付け、事務所に戻り封筒に入れたのだが、その日は社内郵便の集荷が終わってしまっていたので、自身の書類キャビネットに入れ翌朝出すことにした。

なんと、それを僕は20日間も寝かしてしまったのである。

 

気づいたとき真っ青になり、どういった身の振り方をすべきか悩んだ。

ミスを認めることで人事評価に影響がある可能性もあったからだ。

しかし、僕は潔く認めて、許しを請う道を選んだ。

 

依頼元の部長にメールを送り、すぐさま電話も入れて謝罪をした。

「すっかり失念していました。本件は私の落ち度で言い訳のしようもありません」と。 

 

すると部長は、

「ちょうどよかった。忙しくて今日までに送ってくれてもどちらにしても対応できなかったよ」

と寛大に僕のミスを許してくれた。

 

書類がなかなか手に入らなくて送付が遅れた、などという言い訳もできただろうが、もし僕が言い訳していたらどうなっていたかは容易に想像がつく。

 

D・カーネギーの言うとおりで、自分が悪いとわかったら、相手にやっつけられる前に自分をやっつけておいたほうがいい。他人の批判を受けるより、自己批判をする方がはるかに気が楽だからだ。相手が言いそうなことを想像し先に自分で言ってしまえば、相手は何も言うことがなくなる。そうすれば、大方の場合、相手はこちらの誤りを許す態度に出てくれるだろう。

また、自分の誤りを認めることは、罪悪感からも開放されるので、変に嘘をつくより精神衛生的にもいい。ただ、サラリーマンたるもの状況によっては嘘も方便ということは付け加えておく。

 

人を説得する原則③
自分の誤りを直ちに快く認める。

 

人を動かす 新装版

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おしまい