一匹狼の回顧録

30代の孤独な勤め人がストレスフリーな人生を考える

今後の自分のサラリーマン人生

2020年、新年が明けてからいろいろと考えた。

 

いま僕は30代後半で、世間では「アラフォー」と言われる年齢である。

このブログでも、年甲斐もなくネトナンからの即記事を上げたり、自己啓発本の紹介をしたり、さらにサラリーマンとしてもある程度奮闘している姿を報告したりしている。

その中で、サラリーマンとしては、そろそろ管理職になる年次で、一応その管理職は目指せるポジションではある。現時点で、給料としては、ほぼ大台に乗るくらいの金額をもらっている。

しかしながら、ここのところ気力と体力とを分散してしまい、人生のすべての活動がどっちつかずになっているような気がしているのだ。

 

結論、サラリーマンとしての人生はほどほどにして、自分磨き(自己啓発)と遊び(特に女遊び)に多くの時間をかけていきたいということになった。

簡単に言うと、やりたいことを後悔なくやろうと言う話である。

その理由はたくさんある。

 

費用対効果的な話

社内の上級ポストが減っていく中で、これから先出世していくにはかなりの努力が必要だという結論になった。少し上の世代を見ているとそれが明らかにわかる。しかし、出世は運も多分にあるガチャガチャ的な要素が強い。上司に嫌われたらジ・エンド。それでもかつては終身雇用に守られていたからまだ働く気にもなっただろう。しかし、僕たちが60歳、70歳になる頃まで今の終身雇用制度が守られているとは到底思えない。会社のために身を粉にして働くのが、非常に費用対効果が悪いように思えるのだ。

 

給料的な話

日系大企業に顕著だと思うが、一定の年次になるまでは処遇や給料の差がつきにくい。端的に言うと「悪平等」なのである。僕の勤め先も、課長代理級まではよほどの問題がない限り一律で昇格できる。それで大体一本もらえて、しかも降格がない。一方、管理職になると、組合から外れて残業代が出なくなるし、住宅手当などの福利厚生も悪くなる。ここいらで昇給・昇格をしないのがある意味一番賢いのである。

 

会社に対する思い入れ的な話

自分の勤め先に対して、強い思い入れ(愛社精神)があれば別だが、僕は理不尽な左遷も一度経験しており、そういった気持ちはまったくない。「会社は給料を稼ぐところ」と割り切っているのであれば、なおさら、会社での時間を少なくして自分時間の比率を高めるべきだろう。

 

ワーク・ライフ・バランスの話

出世を捨てると「上司がまだ仕事しているから帰りにくい」「NRしたら上司に嫌われそうだから一度事務所に帰らないといけない」という無駄な気遣いをしなくてよくなる。飲み会も最低限オフィシャルなものだけ出ればいいし、有休もガンガン取ることができる。僕は、思い切って読みたかった本を読み漁る期間を作ろうと思っている(その期間はブログは冬眠するか、備忘録的なものになるかも)。

 

精神的健康上の話

出世を捨てたら捨て身になれる。自分の行動に対して、どんな感情を抱くかは、上司や同僚の問題だと割り切ることができれば、精神衛生上非常に過ごしやすくなる。自分を罵倒したり、見下したりすることで相手の気分がよくなるなら、勝手にそうさせておけばいいのだ。他人から嫌われようと、どう思われようと、それは自分の人生には関係のないことなので、自分のやりたいことをひたすらやればいいのだ。

 

セクハラ(パワハラ)が厳しくなった話

僕の勤め先にも、昔は偉くなったら会社の若い子を抱けるという特権があった。このご時世、そんなことやったら一発でレッドカードを食らう可能性がある(中にはうまくやっている人はいるが)。セック◯は古代から男のエネルギー源となっていることは間違いないが、昔ほど会社という村社会でがんばるメリットは無くなってきていると思う。マッチングアプリが発達した今、外の世界で適当な女子を探せばいいのである。

 

今までの女修行経験の話

一つ前の話と重複するが、もはや社内の女子に手を出さなくても一定のレベルの女子を抱けることが経験上わかった。芸能人級の極上の女子を狙うならまだしも、ある程度かわいい女子とセック◯するのであれば、マッチングアプリがあれば十分なのである。 

 

 

ということで、直属上司に嫌われない程度に(嫌われると転勤させられるから)楽してサラリーマン生活を送っていこうと決めた。一度この競争から降りたら、中途半端に再度出世レースに入ろうとするのは悪手だ。今のルート営業の仕事をできる限り続けながら(人事異動の回数を減らすことは楽なサラリーマン人生を送るのに非常に重要)、自分が楽しいと思うことを追求していきたいと思う。

 

 

おしまい